山だし-1
(1)
神田神保町、靖国通りから奥まった商店街に『L』という喫茶店があった。学生街からやや外れていたので、昼時を除けば比較的空いていて、授業の合間に仲間とよく訪れたものである。
学校からは歩いて十五分ほどかかった。もっと近くに店はいくつもあったのだが、ある日、
「K女子大の方へ行ってみようか」
皇居寄りに歴史ある女子大学がある。友人の豊田の一言でぶらぶらしている時にたまたま入った店であった。
「もしかして、女子大生の溜まり場じゃないか?」
井坂も期待を込めて言うので、それから何度か様子をうかがったのだが、思惑は外れ、息き抜きに立ち寄るサラリーマンばかりが目立つ店だった。
それでも『L』に通うようになったのは落ち着ける店だったからである。あまり込み合わない上に、長く居座ってもマスターは厭な顔も見せず、暇な時は話しかけてきたりした。そんな居心地のよさが暇を持て余している学生にはなによりだったのだ。
日中はたいてい二人のウエイトレスがいた。常勤のサトエという女とアルバイトの女の子が数人、曜日や時間帯によって不規則に入れ替わっていた。
サトエの年齢が仲間内で話題になったことがある。二十五、六か、七、八か。そのあたりだろうということになったが、一方のアルバイトの女の子たちが私たちと同年代だったので、並んでいると年齢以上に老けて見えた。それに器量がいただけなかった。顔が大きくて、頬骨がやや出ていて鼻が座っていた。目はぱっちりしていたものの、少し三白眼のため人相がきつく感じられた。
「鬼瓦みたいだな」とは、井坂が評したもので、私も豊田も噴き出してしまった。
言葉にも訛りがあり、しかも愛想がないとなれば接客業としては取柄がない。訛りには妙な癖を感じた。注意して聞いていると、どうやら標準語を意識しているようで、それが中途半端のために却って不自然に聞こえるようであった。
その語調は注文を訊く時など、つっけんどんに聞こえるのである。少しして山形出身だと知った。
容姿や生まれ育った言葉遣いは仕方がない。しかし無愛想なのは別問題である。ほとんど笑顔を見せたことがなかった。
「客商売だからな。少しは愛嬌ふりまけよ」
「よく雇ってるな」
「山だしそのものだな」
私は呟くように言った。言うまでもなく『田舎者』という意味だが、ふだん使わない語感が可笑しかったのか、豊田も井坂もしばらく思い出し笑いをしていた。
「そんな言葉、よく出てきたな」
その日から『山だし』があだ名になった。
サトエにも美点はあった。類い稀、といってもいいほどのバランスのとれたスタイルである。全体にほどよい肉感を湛えながら、尻が引き締まり、くびれたウエストと対比して胸の豊かな膨らみは、通い慣れてからも目を奪われるほど見事なものであった。
「あの顔がもったいねえ」
「ずっと後ろ向いてりゃいいのに」
山だし、と陰でからかいながら、豊田も井坂も肉体に関してはケチのつけようがなかったようだ。ミニスカートから伸びた白い脚を盗み見る時、私たちの顔からはしばしば嘲笑が消えたものだ。
「やりてえな……」
「オッパイに顔埋めてえ……」
サトエがマスターの愛人ではないかと一時面白おかしく取り沙汰したことがある。根拠というほどのものはない。わざわざ山形から出てきて喫茶店のウエイトレスをしなくてもいいだろうにと余計なことを考えたり、また、アルバイトで間に合うだろうとか、マスターが彼女を「サトエ」と呼んでいたことで、浅からぬ仲なのではないかと勝手な憶測を巡らせていただけのことである。
しばらくして、二人は叔父、姪の関係だと判り、興味本位の話題は拍子抜けに終わった。
何かにつけて揶揄しながらも、サトエは私たちの目を惹く存在であった。圧倒的な大人の肉体。その魅力は果てしない妄想を生んでいた。もしかしたら口にこそ出さなかったが、私たちが店へ通う目的がいつからかサトエになっていたのかもしれない。
「屈むと谷間が見えるぜ」
「まさか処女ってことはないよな」
いっぱしに言いたいことを言っていたが、口先ばかりで私たちはまだ幼かった。