山だし-7
翌週から、土曜日の夜は彼女のアパートに行くようになった。初めのうちは店に閉店までいて、連れ立って帰っていたのだが、ある時、
「駅で待ってて」と言われ、以後、小岩駅前の喫茶店で待ち合わせることにした。もしかしたらマスターに怒られたのかと思って訊くと、
「ううん。怒られはしないけど……」
やはり何か言われた様子である。
「どうしたの?」
「うん。……彼は大学生だよって。……よく考えなさいって……」
「大学生だから何だというんだ。……俺は……」
憤然として息巻くつもりが言葉じりが濁ってしまった。
自分の心に曖昧さがある。彼女を好きだと思い、口にも出して抱きしめていながら、どこかに曇りがある。
(愛しているならどこまでも共に歩いていけるのか?……)
問われれば答えは容易には出まい。
サトエは何も言わず、寂しそうに微笑むだけだった。
たまたまレポート提出の科目が重なって十日ほど会えないことがあった。
仲間と『L』に行くと、サトエがいない。買い物にでも出ているのか、何かあってまた帰郷したのか。
店内を見回す私に気づいたマスターが、
「サトエ、風邪ひいたみたいで、休んでるんだ」
カウンターの向こうから何か作りながら言った。
「誰も訊いてねえって」
事情を知らない仲間が声を落として言い、
「鬼瓦のかく乱か?」
可笑しそうに笑った。
店を出ると仲間と別れてアパートに急いだ。気が急いて、電車を待つ時間ももどかしく、一人で寝ているサトエが愛おしくてたまらなく胸に募ってきた。
風邪をひいた……。そのくらいのことで誰かを心配したことはない。
駅からは走っていった。ドアを叩いて声をかけた。やや間があって、
「ちょっと待って……」
慌ててまとめたと思われる乱れた髪に手を当てながらサトエが顔を覗かせた。
「風邪って聞いたから。具合は?」
「いや、困る。こんな恰好で……」
「心配だったから……」
「ありがとう。……あがって」
気になるのか、何度も髪に手をやりながら、出てきたばかりの布団を畳もうとする。
「いいから」
寝るように言うとよほどだるいのか、素直に横になった。
「医者は行ったの?」
「行った。薬も飲んだ。すぐよくなるわ。ありがとう」
火照った顔の弱々しい笑みは何だか幼く見える。
「昨夜よりだいぶよくなったの。熱も下がったし」
「何か食べるもの、買ってこようか?」
「あるからいいよ。ありがとう」
顔はやつれた感じだが、その表情はやすらかに見える。無理に笑っているのではなさそうでほっとした。
「じゃあ、いると寝られないだろうから、帰るよ」
「里見くん……」
サトエが布団の裾を少し上げた。
「ちょっとだけ、抱いて」
甘えた目で見上げた。
体半分ほど布団に入るとサトエが抱きついてきた。
「淋しかったよ……」
「俺も……」
「レポートできたの?」
「うん……」
私も彼女の背中に手を回して抱き寄せた。
「すごく熱いね」
「汗臭いでしょ。ごめんね」
汗と蒸れた体臭を吸いながら、いやなにおいとは思わなかった。熱は下がったと言ったが、まだ微熱があるようだ。私は彼女のにおいを胸に溜め込むように吸い込んだ。
別れ際、サトエは私の首に手を回し、恥ずかしそうに言い淀みながら息のような声で囁いた。
「愛してる……」
私は答える代わりに頬擦りをした。