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飛行機に乗るのは石垣島に行った時以来だ。
11月10日、陽向と湊は羽田から札幌行きの飛行機に乗っていた。
あの時とは違う心臓の高鳴りが脳天まで響いている。
罪を償って欲しい訳ではない。
あの日の事を思い出して涙を流して欲しい訳でもない。
ただ、この物事に終止符を打ちたいだけ。
隣で湊は黙って座っている。
毛糸でできた可愛らしい帽子のつばを目元まで下ろして、まるで何かを悟られてはならないという風に目を閉じている。
「湊」
「なに」
「なんでもない…」
ただの会話でもぎこちなく感じてしまう。
陽向はホットコーヒーを一口飲んで、それを見つめた。
黒い淀みの奥底には、計り知れない殺意と憤りの感情が渦巻いていたであろうあの頃。
その標的であったのは紛れもない自分。
殺されかけた。
それがどんな意味かは分かっている。
自分は殺されかけたのだ、これから会う佐山優菜という女に。
今、どう過ごしているのかは知らない。
会ったらまた同じ目に遭うかもしれない。
無限大の可能性のあるこの旅は、命を危険に晒すようなものだ。
でも、運命なんて偶然なんてそんなものなのだと思う。
誰がどう生きようと、運命になんて逆らえないのだから。
旭川空港に着いたのは夕方を過ぎた頃だった。
送迎バスに乗り、優菜の自宅からわりと近い宿に身を寄せる事にした。
昨日、花井にメールを送った。
『明日、優菜ちゃんに会いに行ってきます』
『頑張ってね。優菜によろしくね。本当にありがとう』
帰ってから花井には報告するつもりだ。
良い報告ができるといいな。
そう思いながら陽向はバスの窓の外を見た。
旭川では遅めの初雪が降っている。
着いたのが夕方だったので、優菜の所へは明日行く予定だ。
和室の隅の椅子の上に体育座りをし、陽向は意味もなく優菜の家の住所が書いてある紙を見つめた。
優菜はどんな顔をしているのだろう…
1ヶ月前、震える手で優菜の家に電話をかけた。
3コール目で『もしもし』と応答したのは、母親らしき人物だった。
「…もしもし、佐山さんのお宅でよろしいでしょうか?」
『はい、佐山です』
陽向は深呼吸した。
「風間です…」
『え…』
「風間陽向です。…突然のお電話、すみません」
『……』
電話の向こうの声は何も言わなかった。
切られる…そう思った時『本当に、風間さん?』と小さな声で聞かれた。
「はい…」
『……』
「あの…優菜ちゃんの事を聞きたくて…。その…家にいるんですか?優菜ちゃん」
『いるけど…』
「けど」の先が気になる。
何かあったのだろうか。
「優菜ちゃんと…会わせてもらえませんか?」
『えっ…』
「約束したことがあるんです」
沈黙と短い会話を繰り返す通話を終え、陽向は脱力してソファーに寝転んだ。
会わせてもらう約束はこじ付けた。
しかし、当日まで優菜には何も伝えないことが条件だった。
あの一件以来、優菜はパニック障害を患ってしまったらしい。
突然何らかの強い不安に襲われ、ひどい時には発狂して狂ったように何かを叫んだり、無いものを探したり、誰かに狙われていると雨戸を締め切ったりしてしまうそうだ。
湊には、連絡が取れて実家にいるとしか言っていない。
精神的に病んでいるとは言えなかった。
どんな顔をして会えばいいのか、正直分からない。
怖いと思ってしまう。
でも、ついにここまで来てしまった。
明日という日に漠然とした不安が残る。
「明日、何時起き?」
温泉に入っている間に女将さんが敷いてくれた布団に身を埋めて湊が問う。
「10時にしよっか。ちょっとゆっくり目」
「あい」
「おやすみ」
「おやすみ」
明日のことばかり考え、温泉もご飯も楽しめなかった。
陽向はどっぷり疲れた身体に布団を被せ、眠りに落ちた。