前編-7
他校の男子と交際する者もいたが、多くは人目をはばかる純愛であった。
森中寅二から手紙を手渡されたのは高校三年の四月のことである。手紙には綿々と切ない想いが綴られてあった。嬉しいのに、小夜子は可笑しくてしばらく一人で笑ってしまった。
駅のホームでおずおずと近寄って来て、引き攣ったような顔で周囲を気にしながら封筒を差し出した様子が思い出されたのである。小柄で猫みたいに可愛い印象であった。それが『寅二』という名前にそぐわなくて笑ってしまったのだった。
『一年の時からあなたを見染めていました……』
そういえばよく顔を合わせていたと思う。彼は一高の生徒で、第一女子とは同じ駅なのだ。だから登下校に出会うのは自然といえばいえるのだが、それにしてもたくさんの生徒がいる中で森中の印象が残っているとすれば、彼が意識して小夜子の近くにいたのかもしれない。
(だったらもっと早く……)
言ってくれればと思いながら、小夜子はその時、処女を棄てるつもりになっていた。
一高は男子校で、市内はもちろん、県内でも有数の名門校である。学業の程度で男を選ぶ気はなかったが、秀才校への憧れがまったくないといったら嘘になる。一高の生徒は礼儀正しくてやさしそうだ。だから、
(記念碑として……)
貞操観念に特に拘りはない。ましてや結婚など考えもしない。それにしても『記念……』とは、ずいぶん割り切った考えである。
手紙をもらった翌朝、駅を降りてぞろぞろ歩く生徒の中に彼の背中を見つけた小夜子は小走りに近寄ってすぐ後ろについた。森中は俯きながらきょろきょろと左右を窺っている。小夜子を探している様子である。真後ろにいる彼女には気づかない。いや、探していたのだろうか。会いたければ早めに来て改札口で待っていればいいのだ。それに後ろを見ない。顔を隠すように横ばかり見ている。
小夜子は青白い首筋を見つめながら思った。意を決して手紙を渡したものの、きっと返事が怖いんだ。……
捧げようと思っているのに。
(しっかりしてよ)
一高と第一女子とは三つ目の交差点で左右に分かれる。その直前に小夜子は音がするほど彼の背中を叩いた。振り向いた森中の顔は驚きよりも怯えたように見えた。
「帰りに駅で待ってて」
小夜子のはっきりした物言いに森中は頷きながらおどおどと周囲の人波に目をやった。
その表情を視線の端に収めながら右に折れた。
(だめだな……)と思ったことを憶えている。『だめ……』とは、結ばれないと直感したのである。もっとも、彼女に経験はないのだから、根拠のある直感ではないのだが、いつからか、惹き込まれる強さが自分を奪うのだと何となく考えていたところがあって、森中にはそれが感じられなかったのだった。ただ、捧げる想いが消えたわけではなかった。