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やわらかな光り
【その他 官能小説】

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やわらかな光り-4

(4)


「二、三日旅行しようと思ってるんだ。しばらく行ってないし」
食事中に言うと、妻はテレビを観ていた目を向けた。
「あら、珍しいじゃない。いいことよ。そういうの。友達と?」
「いや、別に決めてない」
「そう」
会話は途切れ、行き先を訊くこともなかった。

 その時は日程も何も決めていなかった。もし妻が自分も行きたいと言ったら彼女に合わせるつもりでいた。だが、間もなく妻の視線は騒々しいバラエティの画面に戻っていった。期待はしていなかった。誘っても仕事を理由に断られるだろう。

「じゃあ、一人旅でもしてくるかな。何年ぶりだろう」
「のんびりしてきてよ。定年になったんだから」
今度は顔をテレビに向けたままである。
(俺がいないほうが気が楽なのだろう)

 二か月ほど前、帰宅するとテーブルの隅に旅行会社のパンフレットが置いてあった。内容がわかるように広げたままで、仕舞い忘れたのではなく、私に見せるためだと思った。
(また行くのか……)
 妻は年に数回、友人と旅行している。初めの頃は土産を賞味しながら、楽しそうに旅の出来事を語る妻の話に耳を傾けたものだが、今は聞くこともないし、妻も話さない。

『銀山温泉』という字が読み取れた。今年三回目の旅行である。話しづらいのか、話したくないのか、それでも黙って行くわけにもいかず、目の届くところに置いて伝えているつもりのようだ。
(銀山……山形だったか……)
カレンダーを見やった。勤め先の定休日が木曜日なのでいつもその前後を絡めて出かけている。
(今週のことなのか、来週なのか)
どちらでも構わないと思いながら食事を終えて煙草を喫っていると、妻はパンフレットを封筒に仕舞った。
「銀山温泉って、なかなか予約が取れないのよ。たまたま運よく、今度の木曜」
「ふうん……」
「悪いけど、お金置いとくから何か取るなりして」
それが予定の伝達だった。私は黙って煙草を揉み消すと風呂場に向かった。妻の視線を感じた。


 昨年長女が嫁ぎ、長男は家を出て一人暮らしをしている。
夫婦二人きりの生活。思えばその形態は三十五年ぶりのことである。新婚時代の二年ほどを除き、長女が生まれて、年子で長男。常に子供中心で生きてきた気がする。実際そうだった。旅行はおろか、二人だけで外食した記憶すらない。
(三十五年ぶり!)
二人で過ごす時間の短いことに驚いたものだ。
(あと何年生きるのか……)

 哀しいことに家で二人になってもときめきはなかった。それは本当に切ないことだった。
 年齢とともに老いてゆく肉体、熱情。……どうしてそうなってしまうのか。老いのせいばかりではないだろう。理由を見つけるのは簡単ではないが、強いて考えてもこじつけや外的要因のせいにしてしまう気がする。現実を否定したい悪あがきの想いもある。
(これからまだ二人で生きていくというのに……)

 長女の結婚式の翌日だったか、私はひさしぶりに高まって、遅れて布団に入ってきた妻に手を伸ばし、脚を絡めた。妻は黙っていた。パジャマのボタンに手が及ぶと、溜息を洩らしながら自ら下だけ脱ぎ始めた。体が応じてそうしているのではないことはわかる。二人の狭間に漂う無言の空気に温もりはなく、ひんやりと湿った感じがした。
 布団を剥いで心持ち脚を開いた妻の顔は天井を向いている。薄暗い闇の中に横たわる姿は生気のない人形のように見えた。

 それから二か月後、
「完全に上がったみたい」
妻は生理が終わったことを晴れ晴れとした顔で私に告げた。その表情はとても若やいで艶やかな輝きに満ちていた。しばらく見なかった明るい顔である。あまり嬉しそうに言うので私はつい調子に乗った。
「それじゃこれからは心配ないな」
笑いながら言ったのは妊娠のことである。
「何のこと?」
微かな困惑の色が目に表われた。そして区切りをつけるように言ったものだ。
「そのことだけど、はっきり言うわ。もう、いいと思うの。そう思わない?この齢でするのはおかしいわ。意味がないでしょう?」
(意味?……)
「その気になれないのよ。だいぶ前から。そういう齢よ。あなただって昔みたいじゃないでしょう?感じでわかるわ」
言葉が見つからず、しばらく黙り込んだ。

 うすうす感じてはいたが、セックスの捉え方、位置づけがまるで異なることを改めて知った。今や老人でさえ心の潤滑油として楽しむと聞く。だとすれば自分たちなど壮年ではないか。昔だって情欲は変わらないはずだ。秘め事として隠されていただけではないのか。
 何度か会話を持ったが妻には理解できないようだった。
「そういう人もいるでしょうけど、あたしはだめなの。誰も同じじゃないわ」
 いつからか妻はよく『第二の人生』と口にすることが多くなった。
「あたしたち、もう第二の人生なのよ。充実した時間を過ごす時期なのよ」
(充実……)
その言葉は私の感情を逆撫でした。
(充実だって?……)
趣味や読書、友人との交流。人生を豊かに過ごすためにこれからの時間を有意義に使うのだと言った。
「貴重な時間よ。時間は限られてるのよ」
 妻は仕事が面白くて仕方がないようだ。いまは友人のオーナーが仕入れを担当しているらしいが、いずれ自分も海外に行ってみたいと言っていたことがある。
『第二の人生』……その言い方が好きではない。人生はひとつなのだと思う。そもそも第一も第二もないではないか。折々に気持ちの区切りがあるだけだ。
「その区切りで生き方を変えていくのよ」
ことさら構えて何かを見い出そうとするのは不自然だと思う。
(生き方を変えなくてもいいだろう)
しかし何を言っても価値観の相違は如何ともし難い。
 それ以来妻に触れたことはない。悶々とした想いを抱えつつ日々は過ぎていった。





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