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やわらかな光り
【その他 官能小説】

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やわらかな光り-11

(11)


 紀子に対して『愛』はない。明日になれば別れ、二度と会うことはないだろう。が、いま彼女の肉体は情念を燃やしながら、たぎる想いを男に託す哀歓のるつぼとなっていた。私はその中に溶け込み、それは新たな『何か』を生み出す行為であるような気さえする。それほど感動し、陶酔した。

 翻弄されたうねりが過ぎ去っても私たちはしばらくそのままでいた。紀子の手が私の背を抱いたまま放さない。私も重なっていたかった。
「まだ熱い……」
 たなびくような心地よさのせいだろうか。私の手は彼女に触れ続け、結果、その行為はやさしさとなって彼女の余韻を引き延ばしているようであった。

 想いを辿る。事後の醒めていくひととき。
(妻に施したことがあっただろうか……)
付き合っていた頃、結婚したての頃、そして何年もの間……。行為が終われば体はもう離れていた。

 妻が仕事をしたいと言い出したのは長男の大学受験が近づいた頃である。長女が私大に通い、二人目となると負担は大きい。
「入学時に百五十万はかかるわ」
わかっているのに私は生返事を繰り返した。
(そこをやり繰りするのがお前の役目だろう……)

 いまの仕事の内容も、妻は詳しく説明したのだと思う。輸入雑貨といってもどんな物を扱っているかも知らない。私に聞く耳がなかったからだ。生活のために働きに出るというのに素直な言葉が出なかった。むしろ重苦しい塞いだ気分になって黙り込んでしまった。

「明日から行くから」
ハンガーに服を掛けながら妻が言った時も返事をしなかった。
 仕事となれば時に遅くなることもある。やむを得ず休日を返上することだってある。そんな時、私は自身を省みて、
(不機嫌な顔ばかりしていた……)と思う。
労いの言葉ひとつ言ったことはない。その気持ちがないわけではなかった。それなのに面と向かうとなぜか頑なになってしまった。

 長い結婚生活で感情的になったり、些細な行き違いで口を閉ざし、視線を合わさなかった日もある。もともと他人なのだからこじれると溝は意外に深くなる。その男女が一緒に暮らすのだ。思いやる気持ちがなければ傷つけ合うことになる。いや、
(傷つけ合うのではない……)
わかっていた。
(自分が妻を傷つけていた……)
 暴力や暴言とは異なる心への傷。やさしさで防ぐことが出来た傷。被ってあげられなかった小さな傷。
 妻は折に触れ、かすかな痛みを感じていたのではないか。それは遠い過去に淋しい後ろ姿を見送った玲子に対しても同じことだったように思う。……
 紀子を抱いた満ち足りた想いが思わぬ後悔を呼び覚まし、私は息苦しさを感じた。

「お風呂に行きましょうか」
紀子が半身を起こした。二十四時間入浴できると聞いた。
「一緒に入りましょう」
「一緒にって、誰かに見られたら……」
「この時間に入る人はほとんどいませんよ。それに女風呂です。今日は女性のお客さんはいないの」
 午前二時になろうとしている。
「行こうか……」
私は嬉しくなって浴衣を羽織った。

 浴場の前まで来て、念のため紀子が中を覗き、誰もいないことを確認した。男風呂にも人はいない。従業員も零時を過ぎて使うことはないという。

 立ち込める湯けむりで湯殿は白くぼやけている。かけ流しの湯音だけが絶え間なく聴こえている。
 湯気を吸い込むと檜の香りが胸の奥まで沁み込んできた。
「檜風呂か。男湯はタイルだったよ」
声を落として言うと、紀子は微笑んで、
「女湯だけなんです。いいでしょ。来年あたり男湯も改装するみたいです。時々夜中に入るんです」
おどけたように首をすくめた。

 湯船はさほど大きくはない。二人同時に体を沈めると溢れた湯が音を立てて流れた。案外大きな音だったので顔を見合せて声を出さずに笑った。
 肩に手をかけると浮くように移動して身を預けてくる。滑らかな肌に触れて体の芯が熱くなった。
 後ろから腕を回してすっぽりと胸に包む。甘えたように身を縮めて密着してくる。乳房が湯を通してゆらゆら揺れて見える。

「いい気持ち……」
紀子が伸び上がって顎をあげた。
「ほんとにいい気持ちだ……」
女と寄り添うこと、確かめ合うことでこんなにも大きく幸福感が膨らむとは……。
(忘れていた……)

 私は紀子を抱いた手に力をこめながら耳に囁いた。
「また、なっちゃった……」
「ふふ、いいですよ。もう一つ、あります」
「スカートに?」
「いや……」
恥ずかしそうに身をよじった。
「女房とは、もうないんだ」
「それは、言わないでください」
「そうだね。ごめん」
掌にあまる乳房を包んだ。
「うれしいです。こんなにやさしくしてくれて……」
私の胸を衝き上げるものがあった。悦んでくれることが悦びになる。
(そんなことがあったのか……)

「ああ……包まれてるみたい……」
(包んであげなければいけないのかな……)
妻の若い頃の笑顔がはっきり浮かんだ。どこで見せた笑顔かわからない。だがやわらかな光りを浴びている。千尋と玲子の顔が連なって現われた。
 千尋にも悲愴感はない。玲子にも光りを送りたい。
 湯の音はせせらぎのごとく二人を包む。私は紀子の肌の香りを深く吸い込んだ。


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