back to the ground 〜十年後の僕へ〜-3
「あぁ、覚えているよ」
「・・・そうか、なら良いんだ」
何を覚えている?
どちらも聞こうとはしなかった。もしかしたら僕たちが思い描いている風景は全く別のものかもしれない。けれどそんな事は大して重要ではないような気がした。
「悪かったな、急に連絡して」
桂木は言った。
「いや、別に。声が聞きたかったところだよ」
「・・ありがと。じゃあ、またな」
「あぁ、またな」
言って携帯を切った。視線を時計に移すと、そのデジタル表記は二時を指していた。あと一時間もすれば着くだろう、と胸のうちで言葉にした。
「ホントは、あんたのこと、好きだった」
それは卒業式を間近に控えた放課後のことだった。日直の仕事をやり終えるのを見計らって、彼女は言った。
そんな素振りは全く見せなかった。僕に見せる視線は、友達としてのそれだと思っていた。
「いつから?」
僕は聞いた。
「二年の時から」
彼女はさばさばと答えた。
「そうか。もっと早く言ってくれればなぁ。意識しながら学校生活を送れたのに」
「ごめんね、こんなときになって告白するなんて、ズルイよね」
「全くだ。数日後には別の生活を送るってのに」
「でも、今しかないのよ」
「そうだな、今しかない」
教室を見渡す。
彼女が好きになったのは、ここで生活している僕。きっとこれから多くのものを失い、諦めていく僕は、その対象にはならないのだ。
僕らは変わっていく。
僕を取り巻く環境も、僕自身も、彼女の好みも。
それが成長なのか、退化なのか、誰にも知ることはできないけれど。
「ありがとな、僕を好いてくれて」
「うん、いつかまた会おうよ」
「そうだな」言って、あの言葉を思い出す。
「十年後」
「十年後」
二人の言葉がハモり、自然と笑みがこぼれる。
放課後の教室は、焦るように過ぎる時間を無視するように、ゆったりと、そこに存在していた。胸を去来する、いくつもの風景は、いつかセピア色になって、白黒になって、透明になっていくのだろうか。
僕は目を閉じた。
そうだとしても、それは無くなるわけじゃない。
透明だったとしても、胸の中に、それは『在る』。
「ねぇ」
彼女は、ふわりと言った。「卒業だね」
微かに開いた窓からの風が、静かにカーテンを揺らした。
「あぁ、」
目を閉じたまま、風の音に耳を傾けた。「卒業だ」
それは言う。
『焦らないで、ゆっくりと大人になればいい。未来は、君を待ってくれる』
その音に、眼を開いた。そして、もう一度、確認するように言う。
「卒業だ」
未来が、すぐそこにあるのなら、僕は足踏みをしてる場合じゃない。
さぁ、怖れずに。
会いに行こう。
何を失くしても、何を忘れても。
僕は、未来を迷わない。
風は吹いていた。
追い風とも、向かい風ともつかず。
ただ、風は吹いていた。
ドッドッドッ
唸るようなエンジン音が響く。
母校のそばにあるコンビニに車を止めた。当時は文房具屋だった、その土地は便利さを追求した店舗に変わっていた。あのおばぁさんは、今頃どうしているのだろうか。
車にロックをかけ、母校へと向かう。
この信号を渡れば、十年ぶりの景色。
腕時計に視線を落とすと、四時近くになっていた。放課後だから、部活に勤しむ学生がいるだろう。
部活、か。