I-4
「やだなあ、そんな顔しないで下さいよ」
「だって……」
神妙過ぎる雛子の面持ちは、林田の気を幾らか和らげる。
「──どうせなら、雛子先生も素麺食べてみませんか?」
「えっ?」
思いがけない申し出に、雛子は俯いた顔を上げて林田の顔を見た。
涼しげな眼が微笑んでいる。
「一人で食べたって味気無いですし、一緒にどうです?」
「でも、お邪魔じゃ……」
「じゃあ、先生の家で作りましょう!ついでに、これも持って行きます」
そう言った林田の手には、日本酒の一升瓶が握られていた。
夕暮れが近付く頃、一本道で二つの影が並んでいる。雛子の持つ手提げ袋には、卵と鯵の干物、それにいりこと胡麻が入っており、その横に並ぶ林田は、一升瓶を肩にからっていた。
買い物を終えた二人が、村役場の前を通り過ぎようとしたその時、
「河野先生!」
役場の方から、高坂の声が聞こえた。
「あ、校長先生!」
見ると、高坂の隣に男の人が立っている。アルペン帽に開襟シャツ、ねずみ色のズボンにズック姿は、父親の三朗に似た風貌だ。
「この人が、ああたに用があるんじゃと!」
紅潮した高坂の顔を見て、雛子の中に緊張が走る──遂に来たんだと直感した。
(あ、そうだ!)
となれば、林田との約束は反古するしかない。雛子は振り向いた。
「あれ?」
隣にいるはずの林田の姿は既に無かった。高坂を見つけた途端、逃げ出した様子だ。
「貴女が河野雛子さんですか?」
物腰の柔らかい声に、雛子の緊張が和らぐ。
「そうです!」
そう言うと男に駆け寄って行き、小さくお辞儀した。
それを見た男も、笑顔で会釈を返す。
「初めまして!僕、貴女の御兄様である、光太郎さんの大学の後輩で吉岡直道と申します」
「い、妹の雛子です。此方こそ初めまして。あ、兄がお世話になっております」
「光太郎さんとは学部は違うんですが、同じ同好会で可愛がって頂いたんです」
「そうなんですか……」
見た目は雛子と同年輩に見える吉岡だが、光太郎の後輩となれば、彼女より三つは年上だ。
何より、そのしっかりとした言葉遣いと柔和な表情は、人好きのする雰囲気に溢れてる。
雛子は、吉岡の事が一辺に気に入った。
「兄の後輩と仰有られると、やっぱり文部省の方ですか?」
「いえ。今は大学の農学部で、助手をやっています。調査の件は、早くから光太郎さんに伺ってたんですが、日程の調整に手間取ってしまって……」
吉岡の打ち明け話に、雛子の胸は熱くなる。兄はちゃんと、手筈を整えてくれてたのだ。