『桃子記念日』-6
…真壁桃子と真木宗佑の出会いは、15年前に遡る。当時、桃子は7歳で、宗佑は17歳だった。
そして、桃子の父と宗佑の母とが、“姉弟”になるので、血縁的に二人は“従兄妹”ということになる。歳が離れているのは、桃子の父親がかなりの“晩婚”だったことに由来している。
宗佑の父は、彼がまだ幼い頃に病気で亡くなってしまい、また、その母親も、彼が高校を卒業する間際、病を患って逝ってしまった。宗佑には他に身寄りがなく、彼にとっては“叔父”にあたる桃子の父を頼り、引き取られることとなった。
『姉さんの面影が、君にはあるよ』
よく、桃子の父がそう言っていた。そういう父親の目が、寂しげに揺れていたのを、桃子は幼いながらに、とても悲しく思っていた。
桃子の父と、宗佑の母は、確かに“姉弟”だった。しかし、二人は、許されぬ関係を結んでいた。故あって、親元を離れ、苗字も違って成長した桃子の父は、血の繋がった相手だと知らないまま、宗佑の母を愛してしまったのである。
当然、法律でも認められないその関係は、縁者の手によって引き裂かれることとなった。だが、強い想いに導かれて、二人は駆け落ち同然に実家を出奔した。
そんな若さの勢いは、やはり、無謀な試みに終わり、桃子の父が実家に連れ戻されるに及んで、はかなくも終焉を迎えた。
宗佑の母は実家を義絶され、完全に放逐された。宗佑が、両親の死によって完全に身寄りを失うことになるのは、ここにも由来する。
桃子の父は姉の義絶に義憤を覚えて、彼女を連れ戻そうとしたが、それを拒んだのは、他ならぬ彼女自身だった。
『あなたは、あなたの幸せを見つけてください。わたしは、わたしの幸せを見つけます』
それが、最後の言葉だった。
以来、桃子の父は、長い間まるで抜け殻のようになっていたのだが、とある女性との出会いによって、ようやく立ち直った。その女性が、桃子の母親である。
自身も身寄りがなく、細々と私設孤児院を運営していた彼女を、なにくれとなく支援しているうちに恋仲になり、やがて、桃子が生まれた。
桃子の父と、母との間には、年の差が二十近くもあった。それを快く思わない実家との縁を、自ら切り捨てた桃子の父は、以来、小さな私設孤児院の院長として、貧しくとも幸せな時間を、ようやく手に入れることが出来たのである。
ある時、17歳の少年が、孤児院に姿を表した。彼が手にしていた手紙を読んだ桃子の父は、目の前にいる少年・宗佑が、かつて愛した姉の遺児だと知るにおよび、妻の快諾を得る形で、宗佑を引き取り、大学卒業までの支援を惜しまなかった。
大学在学中に、宗佑は文壇にデビューしており、新進気鋭の作家として注目をあびるようになっていた。卒業後も、意欲作を次々と世に送り出して、若いながらも“ベストセラー作家”のひとりとして認識されるようになった。
しかし、宗佑はふつりと、作品を書かなくなった。書けなくなった、というのが、正しいかもしれない。彼は、大学の卒業と同時に家を離れていたが、長いスランプに苦しむ様子を、桃子も、桃子の父母も、心配していた。
やがて凶事が、今度は桃子の身に降りかかった。
桃子の父が、ある朝、急に倒れた。脳内出血だった。九死に一生を得たものの、全身に麻痺が残り、妻の介護を受ける形でしばらくは生命を繋いでいたが、肺炎を起こし、むなしくこの世を去ってしまった。
消沈した桃子の母も、まるで後を追うように、病を得て亡くなった。つれあいが倒れて以来、孤児院の資金調達がままならず、夫婦で運営してきた思い出の場所が、とうとう閉鎖の憂き目にあったことも、それに拍車をかけてしまったのだろう。宗佑も資金援助はしていたが、それだけでは立ち行かないところまで、来てしまっていた。
中学生となる直前、桃子はひとりぼっちになってしまった。勝気なところのある桃子も、この時ばかりは、周囲を拒絶するほど落ち込んで、泣いてばかりいた。
『安心して、桃子ちゃん。俺がいるから』
宗佑は、身寄りをなくした桃子を、かつて自分がそうしてもらったように、自らの元に引き取った。筆が途絶えて久しいとは言え、桃子一人をしばらく養っていくだけの経済力は、何とか持ち得ていた。
当然、筆が止まったままでは、それもいつか立ち行かなくなるとわかっていたから、彼は奮起した。それでも、かつてのような輝きを取り戻すには至らず、苦悩し、もがき続けることになった。
『おにいちゃん』
そう呼び慕ってくれる桃子の存在だけが、宗佑の救いだった。
桃子もまた、宗佑の存在を光として、成長していった。その眼差しに、異性としての思慕を載せるようになったのはいつからか、思い出せないくらい、桃子は自然に、宗佑のことを恋い慕うようになった。
日を追うごとに、童顔ではあるが、胸や尻が“女”として成長していく桃子。宗佑の懊悩も、深くなっていった。