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憲銀の恋
【純愛 恋愛小説】

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嵐の日-1

 日課となっていたセンターでの勉強は途絶えた。私自身日銭稼ぎの仕事に追われ、憲銀は日本語学校の授業が終わるとアルバイトに向かう。憲銀の仕事は遅くまで終わらない。憲銀が帰宅するまでアパートの前の公園で時間をつぶす。そんな日が続いていた。アルバイトを始めた頃には十時前には帰宅していた憲銀が近頃では十一時を過ぎても帰ってこない日が多くなっていた。

「アルバイト忙しいね。疲れている。明日学校早いから今日は直ぐ寝る。トーミン、今日は帰るね」

 毎日渡している金を受け取ると憲銀は玄関の戸を閉めた。そんな繰り返しがもう一週間ほど続いていた。

 人気の無い中央公園を横切り図書館の階段下のねぐらに向かう。公園の木々が大きく傾きざわついていた。そういえば明日は台風が上陸するといっていた。私の仕事も休みになるだろう。

 夜半から強くなった雨と風が図書館の階段下のダンボールとブルーシートでこしらえたねぐらに容赦なく入り込む。バタバタと音を立ててはためくブルーシートを必死に抑えながら朝を迎えた。

 台風の上陸は今日の昼頃になるという。一睡も出来ず朝を向かえ、ずぶぬれになりながらブルーシートとダンボールを畳むと近くの地下道へ逃げ込んだ。地下道にはずぶぬれになりながらぶるぶると震えるホームレスの仲間達が大勢避難していた。

 ほどなく移動したセンターの中から窓の外を眺めると一抱えもありそうなモミの木が大きくかしいでいる。あたりには引きちぎられた小枝が散乱していた。激しい雨と風は夕方まで収まらなかった。

 センターの前の広場を未だ収まらない風に逆らいながら自転車をこぐ憲銀のすがたが目に入った。どうやらアルバイト先に向かっているようであった

「こんな日に・・・」

 何故か私は得体の知れない不安を覚えていた。



 十時を過ぎた。既に雨も風も収まっていた。しかし憲銀の部屋は明かりが消えたままである。不安な気持ちを抱えたまま憲銀のアパートの前で憲銀の帰りを待った。

 十二時を過ぎた頃であった。アパートの前の商店街の明かりの中に見慣れた自転車が見えた。憲銀である。しかし自転車は一台ではなかった。憲銀の自転車に寄り添うようにしてもう一台の自転車が・・・。とっさに私は茂みの中に隠れた。

 アパートの入り口の明かりに照らし出されたもう一台の自転車の主は四十代の小太りの男である。美容室でのアルバイトが決まった頃、憲銀が私に話してくれた美容室のオーナーの容貌がその男と重なった。二人はアパートの入り口に自転車を止め、なにやら言葉を交わしながら階段を上っていく二人の足音が茂みの中の私の耳に届く。やがて扉が開き、そしてしまる音がした。

 憲銀の部屋の明かりがついた。男が階段を下りてくる気配は無かった。どうやら男も憲銀の部屋に入ったようである。やがて憲銀の部屋の明かりが消えた。

 私は茂みの中から一歩も動けずに憲銀の明かりの消えた部屋の窓を見上げていた。そしてそれは私が憲銀の恋人、ただ一人の男ではなくなったことを教えてくれた。憲銀との恋は終わったのだ。

 嵐の後の公園はひどい事になっていた。強風に引きちぎられた小枝があちらこちらに散乱し、何本もの大きな木が倒れている。倒木に何度も足を取られながらやっと図書館の階段下にたどり着いた。

 ダンボールを敷く気力もブルーシート張り巡らす気力も失せていた。ただ膝を抱えて階段下にうずくまっていた。男が憲銀の部屋に入っていったとき、私は何も出来なかった。ホームレスであり、日銭稼ぎの私には私より随分と若い美容室のオーナーである男から憲銀を奪い返すすべを何一つもっていなかった。私は嵐の中で難破した小船でしかなかった。



 憲銀とは大人の別れをしたかった。醜いいい争いなどせず静かに姿を消したかった。あの晩から一週間程たった夜だった。いつもの図書館の階段下で眠りについていた。枕もとの携帯が鳴った。

 自己破産で全てを失った後も乏しい所持金で毎月の使用料だけは払い続けていた。車の免許証と携帯だけが元の社会に戻るためのドアの鍵だと思っていたからだ。その携帯が小さな音を立てていた。着信表示を見ると憲銀からである

「トーミンか?トーミン何故部屋来ない。トーミン来ないから部屋汚い。冷蔵庫からっぽね。生活費も無いよ」

 なじるような憲銀の声であった。

 返事をせずに黙っていた。

「トーミン、何故黙ってる。今すぐ来るか?」

 弱い私のことだ。今憲銀と会えばあの嵐の夜のことを押し殺したまま憲銀との辛い関係を続ける事になることがわかっていた。

「憲銀の部屋には行かない。憲銀と逢う事ももう無いよ」

「何故そういうこと言うか。トーミンいないと私生活大変、勉強も大変よ」

 健銀はあの晩私が二人の姿を見ていた事など全く気が付いていないようである。

「憲銀はアルバイトしているからお金はもう大丈夫。それにトーミンが憲銀の部屋に行ったら憲銀が困るだろう」

「トーミン、何言てるか判らない。アルバイト安い。生活困るね」

 あの晩、二人が大きな買い物袋を抱えていたのを知っている。美容室のマスターが憲銀に冷蔵庫の中身を買い与えたのだろう。私がいつもそうしていたように。

「冷蔵庫の中身が無くなったら又、美容室のマスターに買ってもらったらいい」

 憲銀が黙った。どうやら私が憲銀とマスターの関係を知った事に気が付いたようである。

「マスター関係ないね。愛しているのトーミンだけ。今すぐ部屋来るね」


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