互いの事情-2
図書館で本を借り市民センターへ向かう。憲銀と関係が出来た後、私は一日の大半を市民センター過ごすようになっていた。憲銀が日本語学校の帰りに必ずセンターに寄るようになったからである。学校の授業によりその時間が定まっていないためやむなく私は朝からセンターで時間を過ごすようになっていた。
「トーミン、待たか。今日も勉強ね」
憲銀はセンターの閉館時間まで理美容の専門書を教科書にして日本語の勉強をすることが日課となっていた。閉館のチャイムが鳴ると私達は連れ立って憲銀の部屋に帰った。
家事が苦手な憲銀に代わって料理を作る。憲銀の舌は日本人とは全く異なっていた。兎に角辛いもの、すっぱいものを好むのだ。いくら美味しくできたと思っても憲銀の前に並べた料理は真っ赤になるほどの香辛料がかけられた。私には絶対に耐えられない辛さである。一度だけ作った激辛カレーなど、
”甘すぎる”
と言って手を付けなかったぐらいである。それ以後カレーは二度と作らなかった。
憲銀は料理だけでなく家事全般にわたって苦手のようであった。掃除、洗濯、後片付け・・・全てが憲銀の重荷になって居るようだった。
「わたし、高校出てからずっと仕事。家の事全部お父さん、お母さんやってくれた。わたし仕事だけ。奥さんの仕事全然だめね。娘愛してるけど娘の世話全部お母さん。私全然だめね」
憲銀がこの部屋で妹と一緒に暮らしていた間、それは全て憲銀の妹が引き受けていたという。 初めての夜以来、炊事、洗濯、掃除は全て私の仕事になった。
憲銀と体の関係ができたからといって、そのままズルズルと憲銀の部屋に居続けた訳ではない。憲銀の部屋を訪れても日が昇る前には憲銀の部屋を出た。憲銀は自分が留守の間、私が部屋に居続ける事を嫌がった。そして私との関係を周囲に知られる事を恐れていた。依然として私の住まいは図書館の階段下でありノラ犬のままであった。
私の生活のリズム全てが憲銀中心となっていった。それでいて、体の関係は最初の夜以来途絶えていた。憲銀がセックスそのものを嫌った。朝までひとつ布団の中で過ごしてもただ抱き合ってお互いの肌のぬくもりを感じるだけの関係。私はそれだけでも充分に幸せだった。
憲銀との生活が始まる事で私には大きな問題が生まれた。その頃私には収入の無い憲銀の生活を支えるだけの金がすっかり底をついていたのだ。早急に仕事を見つけ日銭を稼ぐ必要があった。センターの周りにはホームレスを食い物にしている違法の派遣業者が常にうろついていた。今まではこういう輩には近づかないようにしていたがそうは言っていられない。日銭を稼ぐには奴らの世話になるしかなかった。
毎日朝早くから遅くまで過酷な人夫仕事をこなして5千円ほどの収入を得、翌日の現場での食費代だけを残し、残りは全て憲銀に渡した。そのときの私にはそれが精一杯であった。
そんな中、憲銀に待望のアルバイトが見つかった。市街地の中心部から外れてはいたが小さいながらも美容室でのアルバイトである。憲銀は収入と美容の技術習得という二つの大きなチャンスを手に入れた。