母娘(おやこ)の相克-1
「九州の母親を引き取ろうと思うんだけど」
忍が突然そう言い出した。しかし直ぐにそれが親孝行から出た言葉ではない事を私は思い知らされるのである。忍は自分の母親を ”あの人” と呼んだ
「弟の嫁さんとも合わないし、別居させると街金から借金してマンション買ったりでほとほと困っている」
忍、弟、そして母親の関係は複雑であった。忍の並外れた家族愛は三人の相克に端を発していた。
忍の母親は九州は福岡の名家の長女として生を受けている。生家の男系は今でも地方の首長として政治に関わっている。その名を上げれば福岡に在の人であるならば多くの人がその名を知る名門の出であった。しかしそれゆえの我儘と散財の気質を持ち合わせていた。彼女は大正の生まれでありながら九州大学医学部の看護学科を出ており、若くから医療の世界で働いてきた。
生家の許しを得ない結婚、忍とその弟を出産した後の一方的な彼女の我儘による離婚により、忍たち師弟は親族間をたらいまわしにされ辛酸をなめてきた。幼いときから忍は弟を必死に守ってきた。
忍の突出した才能は画才に現れた。本人も絵の道に進むことを熱望していた。しかしそのときの忍の状況がそれを許さなかったのである。親類に身を寄せる忍たち姉弟の境遇を、自分の事だけにしか興味を示さぬ母親は一顧だにしなかったのである。
学校からの推薦は間違いの無い事であった。奨学金を得れば美大への進学は充分に可能であったが、忍は絵の道をあきらめ就職を選んだ。今まで必死になって守ってきた弟を今のままの状況に放置して一人出て行くことが出来なかったのである。忍の弟に対する感情はほとんど母親に近いものがあった。
就職した後、弟をほとんど自分の手一つで大学まで出し、公務員に就けると初めて最初の結婚を果たすのである。しかしその結婚は長く続かなかった。二人目の娘をお腹の中に入れたままの離婚であった。
「女みたいにうじうじとした男さ。うっとうしいから離婚した」
最初の離婚の理由はそれだけしか言わなかった。その離婚の後、二人の娘を育てるために風俗へ飛び込んだという。
二人の娘を母親に託し、忍は泡姫として全国各地の色町を転々とし、母親の元へ金を送り続けた。その金は二人の娘の養育のために使われしかるべき金であったのだが、そのほとんどは母親の浪費にしか使われていなかったのである。別れて二年、久しぶりに会ったわが子のみすぼらしさに送り続けた金がどう使われたかを一瞬にして悟った。その日のうちに二人の娘を抱えて母親の元を飛び出していた。
忍からの仕送りの途絶えた母親が頼った先が弟である。今度は弟が母親の我儘と浪費の犠牲となった。
「弟の勤める役所まであいつの借金取りが押しかけて来てさ、弟はほとほと困っていた。何度も知り合いの地回り使って街金からの借金帳消しにしたけど、銀行やサラ金の借金は今でも残ったまま。」
地方の下っ端役人でしかない弟にそれを背負うだけの力は無かった。やむなく忍は二人の娘を抱えながら母親の借財を全て背負った。
弟の結婚を機に忍は弟夫妻に一軒の家を建ててやっている。それは母親との同居を条件にしたものであった。母親を一人暮らしのまま置いておくと新たな借金を始める事は火を見るより明らかである。家を買い与える事で母親の監視を弟夫妻に託したのである。
二人の娘の養育と母親の借財。そして弟夫妻に与えた家のローンを支払うために忍は泡姫として夜昼無く働き続けた。
正にそれが忍の無茶な仕事ぶりの原因だったのである。
「あの人のおかげで弟夫婦の仲が変なことになっている。このままじゃ弟の嫁さんが家を出て行くことにもなりかねないからね」
忍の言葉にはあきらめにも似た響きがあった。
「忍のお母さんだろ、俺はかまわないよ。そんなに弟さんの事が心配だったらお母さん早く引き取ったらいい」
私がそういうまでも無く忍はとっくにそう決めていたのであろう。程なくして忍の母親が九州からやって来た。
大柄で寡黙な忍と比べ、小柄で痩せぎすの忍の母親はいかにも気性の激しい、我の強い女のようであった。忍は父親似であるという。二人が母子であるという手がかりは何処にも見当たらなかった。
母親が加わった忍と私の新しい生活は何事も無く一ヶ月を過ぎた。
忍が疲れたような顔をしていた。今まで見たことの無い疲れ方であった。
「管理人から出て行ってくれと言われてしまった。うちのマンション、動物を飼っちゃいけないことになっているだろ。事もあろうに、管理人がやってきた時、あいつネコ抱いて応対したのさ。あれだけネコを見せちゃいけないって言っていたのに」
留守をすることの多い忍は、二人の娘達にその寂しさを紛らすために一番いのチンチラペルシャを買い与えていたのであるが、今ではそれが子を産んで六匹ほどに増えていた。
「引越しするといっても猫が飼えるマンションなんてそうそうないからね」
今でこそペットの飼えるマンションは増えてきたが、当時ペットが飼えるマンションなどほとんど無かった。家を傷める猫となると尚更である。ましてや六匹ともなると。