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『詠子の恋』
【スポーツ 官能小説】

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『詠子の恋』-5


「おはよう、須野原さん」
「あ、お、おはよう、吉川クン」
「? どうしたの? なんだか、顔が赤いよ?」
「え、そ、そう?」
「うん。ひょっとして、風邪? 大丈夫?」
「だ、大丈夫。熱、あるわけじゃないから…」
「なら、いいけど…。心配かなぁ」
「あ、ありがとう」
 …ここは、例の“塚原・史料解読ゼミナール”が開講される大学の教室である。参加者が2人しかいないということもあり、本来のゼミが開講される“中教室”から、5人程度でいっぱいになるという“小教室”に場所は移されていた。
 その分、二人の距離は非常に近いものとなる。先に教室で、課題のチェックにいそしんでいた詠子は、吉川が教室にやってくるなり、昨夜の桃子とのやり取りを思い出してしまって、知らず顔が熱くなったのである。
 ちなみに桃子は、総計で10本は空けたチューハイが祟ったものか、二日酔いを起こして、詠子のアパートで潰れている。もっとも、それも慣れた光景だったので、詠子としては全く気にしていない。
『冷蔵庫の中にあるの、勝手にしていいから』
『うう〜、すまないねぇ〜』
 スペアキーを預けて、留守番を任せて、週に三回ある自分にとってはもっとも大事なこの講義を受けるため、大学にやってきていた。どうにも気分が悪いようだったら、電話をすぐかけるよう、桃子に言い残して…。
(“大事な”か……)
 詠子にとって、博物館学芸員の実力を備えさせるためのゼミだから、“大事な講義”というのは間違いない。
 それにもうひとつ、“大事”だという理由はできている。吉川と、同じ空間で時間を過ごせることだ。
 それにしても振り返れば、まるで中高生のごとき、冒頭の二人の会話といえよう。大学3回生、ということは、吉川も詠子も、当然ながら既に成人式は終えており、選挙権を持っている立派な成年であるのだが、どことなく初心なやりとりになっている。
(………)
 詠子は今日、眼鏡のフレーム・カラーを変えていた。今までは青色のそれを使っていたのだが、思うところがあって赤色を選んでいた。能動的な気分になると、この赤いフレームの眼鏡を、身に着けたくなる詠子だった。
「さて、今日も頑張りますかな」
「………」
 そして見事に、吉川はそのことに気がついていなかった。
 この小教室は、机が4台、“ロ”の字を描くようにして並んでいるので、吉川は詠子のスペースを邪魔しないように、彼女とは対面になる場所に腰を落ち着けて、課題と辞書を広げている。“遠慮しないで、隣に座ればいいのに…”とは思いもするが、当然ながら、口には出来なかった。
(わかってたけど……)
 吉川が、かなりの鈍感であるということを、だ。自分の顔色が赤いのには気づいたのに、フレームの色が変わっていることには注意が至っていない。
(でも、心配してくれたから……)
 それだけでも、詠子はとても心が温かくなった。何処からどう見ても、“恋する乙女”そのままに、辞書を広げながら課題の最終点検をしている吉川を、見つめ続ける詠子であった。
 やがて塚原も教室に姿を表し、そのままゼミは始まった。二人しか所属者がいないので、講義というよりはサークルのようなフランクな趣で、ゼミは進行していく。
「吉川の解読も、多少は様になってきたな」
「あ、ありがとうございます」
 このところ、塚原の嫌味は陰を潜め、むしろ、吉川をほめる事が多くなった。ゼミが始まった当初に比べれば、確かに吉川の史料読解力は、上達している。
「始まりの頃は、勉強の足りない面倒なヤツがきたと思ったが…。まあ、それでも、及第点ぎりぎりのところだぞ」
 言うや、今しがた発表を終えたばかりの吉川の解読部分を、早速指摘に入る塚原であった。
(………)
 見た目にも態度にも、偏屈で偏狭なところを感じさせる塚原が、多少の嫌味は残しつつ、こうも親身になって吉川に言葉をかけているところを見れば、詠子は、吉川が持っている“人を惹きつける力”というものを意識せざるを得ない。
(わたしも、吉川クンのそういうところが……)
 思いかけて、頬が熱くなってくる。“めろめろ”だと、桃子に言われたことが、またしても思い出されて、ゼミに集中しなければいけないというのに、吉川の一挙一動が、どうにも気になってしまう。
「今日は須野原の方が、調子悪いな。調子に乗って調子を悪くした、いわゆる“河童の川流れ”ってやつだな」
 おかげで、発表が散々になってしまい、塚原に嫌味を言われてしまった。それを心配そうに見てくれている吉川の視線に気がついて、詠子はまたしても顔を熱くしてしまう。
(なにやってんの、わたし…)
 アパートで潰れている桃子に、嫌味を言いたくなった。


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