『詠子の恋』-11
「キミ、昨日、ボールを身体に当ててたよね。大丈夫だった？」
翌日、額に絆創膏を貼り付けた吉川が教室に姿を表すや、詠子はすぐさまそう尋ねていた。
「ご覧のとおり。青くなってるのが目立つから、こうやって絆創膏を貼ってるけど、痛いわけじゃないよ」
「キミ、ちゃんと、病院いった？ 頭、だったんだよ？」
「う、うん。一応、診てもらったけど、問題なかったよ」
何となく責められている気がして、吉川は泡を食ったように答えていた。
「カッコ悪いトコ、見られちゃったなぁ」
「……キミ、すごく、カッコよかったよ」
言ってから、詠子は、勢いで口にした自分の台詞に、口元を抑えていた。これでは、吉川のことをずっと見ていたと、言っているようなものだ。
「そうかなあ。それに、僕、チームで一番、エラーが多いんだよね……」
吉川は、詠子の思うような反応は返さずに、いささか気落ちした様子で、肩下げバックからおなじみの課題の山と、辞書を取り出していた。
（………）
カッコイイ、と言ったのに、自然に話が流れてしまって、詠子は少し不満だった。赤い眼鏡のフレームにも、いつまでたっても気がつかない様子であり、彼の鈍感さは思った以上のものかもしれない。
（わたしから言わないと、ダメなのかな…）
もう詠子は、吉川が好きだという自分の感情を肯定している。時々、その気持ちを伝えたいと思うときもあるのだが、吉川の純朴な笑顔を見ていると、それを曇らせかねないと考えてしまって、どうにも勇気が持てなかった。
「はぁ……」
いつかと同じように、アンニュイな溜息を零す。残念ながら、吉川は課題のチェックに集中していて、それに気がついてくれなかった。
ややあって、塚原が教室に姿を表し、
「ん？ 吉川、そのデコ、どうした？ “三つ目がきた！”の主人公みたいだな」
という、珍しい彼の軽口を皮切りに、この日の講義は始まった。
９０分と言う時間は、あっという間に終わり、恒例と言うべき大量の新しい課題をそれぞれしまいながら、詠子と吉川は教室を後にした。並びあってキャンバスを歩く二人の姿を見れば、付き合っている彼氏彼女だと誰もが思うに違いない。
「そういえば」
「？」
「須野原さん。眼鏡、変えたよね？」
「あ……」
吉川の思いがけない問いかけに、詠子は一瞬、言葉を返せなかった。
「確か、前は青いのだった気がしたんだけど」
「あ、うん、そうだよ。気分で、変えるんだ」
「へえ」
気づいていないかと思ったら、そうではなかった。それにしても、赤いフレームの眼鏡に変えて随分経つと言うのに、言い出すタイミングがずれているのは、いかにも吉川らしい。
「赤いのには、どんな意味があるんだい？」
「ちょっと、アクティブな気分だよ、っていう感じかな」
「じゃあ、須野原さん、このごろアクティブなんだ」
確かに、青い眼鏡のときとは違って、吉川に話しかけていることが多い気がする。
「青い眼鏡の時は、その反対？」
「そう」
読書に集中していたり、考え事をしていたり、受動的な気分の時は、ブルー・フレームの眼鏡を身に着けるのだが、最近は、カバンの中にしまってあることが多かった。
「他にも、あるの？」
「黒と白があるよ。でもキミ、わたしがそれをかけてるときは、気をつけてね」
「え、そうなのかい？」
ストレスが溜まって、気持ちが沈んだときは、色が邪魔に感じるので黒のフレームを使う。そして、それが行き過ぎて、誰とも接触したくない気分にまで落ち込むと、全ての色を排除した白いフレームの眼鏡を身に着けて、周囲とは隔絶した雰囲気を纏わせるのだ。
「ちょっと、気にしておくよ」
そこまでは吉川に伝えなかったが、気分によって眼鏡のフレームを変えていることは彼もわかったらしい。詠子はそのことに、少し満足した。
図書館で課題の確認をしあった二人は、ランチタイムに合わせて“生活支援館”の食堂に場所を移していた。