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「じゃーな」
「うん。送ってくれてありがとね」
陽向はニコッと笑ってエレベーターに乗り込んだ。
部屋の鍵を開け、中に入る。
「なんかあったら、隠さないで何でも言えよ」
見透かされてるのかな…。
湊だけには言えない。
言ってしまえば湊が行動を起こして優菜が逆上するのが目に見える。
それだけは何としてでも避けたい。
でもこのままじゃ、何も変わらない。
でも、言えないよ…。
陽向は大きなため息をついて布団に潜り込んだ。
と、その時、携帯が新着メールを告げる音を発した。
見てみると、知らないアドレスだった。
『目障り。早く消えて』
短文で送り付けられたそのメールを見て鳥肌が立った。
相手は予想がつく。
なんでこんな事までするんだ…。
明日もこの相手と会わなきゃいけないと思うと嫌気が差す。
また、メールが来る。
『いい気になってんじゃねーよ。みんなお前の事なんか殺してやりたいくらい大っ嫌いなんだよ』
同じアドレスだ。
みんなって誰…。
他にも仲間がいるの?
『うざいんだよ』
『かわい子ぶってんじゃねーよ』
『存在が公害』
『お前の事好きな奴なんて一人もいない』
その後も携帯は鳴り止まなかった。
どんどん送られてくる大量のメール。
気付いたら30件あまりの未読メールが溜まっていた。
開く気にもなれなかった。
その中には違うアドレスもあった。
本当にグルなのか、それとも全部1人でやっているのか…。
陽向はメールを全部消去し、ギュッと目を閉じた。
翌日もその翌日もメールは続いた。
日に日に量が増えていくそのメールを、陽向は無心で消し続けた。
メールが減って来たと思えば嵐のような無言電話が立て続けに掛かって来た。
木曜日、実習から帰りポストを開けると『死ね』と大量に書かれた紙が数え切れないほど入っていた。
金曜日、家を出た時の空は今にも雨が降り出しそうなくらい黒い雲が広がっていた。
まるで自分の心のようだ。
そして、こういう天気の日は決まって発作が起こるのだ。
重い足取りで実習先へ向かうと、案の定、微かにヒューヒューと喉が鳴り始めた。
陽向がだるそうに椅子に座ると、優菜に「大丈夫?」と声をかけられた。
「へーきへーき。休めばすぐ治るから」
心配されたら逆に死んでしまいそうだ。
陽向は軽い発作を起こしている事を指導者である西野さんに伝えに事務所に入って行った。
「大丈夫なの?今日はお休みする?」
「これくらいの発作よく起こすんで大丈夫です」
西野さんは「ちょっと休んで大丈夫そうだったら戻っておいで」と優しく言い、休憩室のベッドに陽向を寝かせた。
疲れてるのかな…。
肉体的疲労より精神的疲労の方が勝っている。
軽く目を閉じた後、目を開いたら1時間も経っていた。
寝るつもりじゃなかったのに!
大慌てで事務所に行くと「大丈夫?」とまた心配された。
「これから2件目行く所だけど、行けそう?」
「は、はい!行きます!」
今日が終われば、全て終わりだ。
優菜と会うこともなくなる。
陽向は急いで準備をすると、今日の担当の看護師の後ろを走って追いかけた。
無理はするもんじゃないな。
午後、急に体調が悪くなり、陽向は休憩室でうずくまっていた。
息をしたいけど上手く吐き出せないので、新しい酸素が入ってこない。
さっきやっとけばよかった…と思いながらバッグの中を漁り、吸入器を探す。
が、無い。
忘れてきたかな…。
最悪だ。
ぐったりしていると、休憩室のドアが開いた。
入って来たのは優菜だった。
「ひなちゃん…。まだ辛い?」
「ん、ちょっとね…」
「西野さんがお茶くれたから、ここ置いとくね」
優菜は湯呑に入ったお茶をベッドサイドのテーブルに置いた。
そういえば喉がカラカラだ。
陽向は「ありがと」と言って湯呑のお茶を胃に流し込んだ。
優菜はしばらく休憩室にいた。
今は記録の時間なのに、記録しなくていいのかな。
なんで大っ嫌いなあたしの側になんかいるの。
色々考えていたら、なんだかだんだん息が苦しくなってきた。
こんなにたくさん酸素があるのに、ひとつも自分の物にならない。
陽向がソワソワしていると、優菜が「どうしたの?」と問いかけてきた。
そんな声も遥か彼方に聞こえる。
「苦し…いよ……」
全身から変な汗が滲み出す。
優菜は顔を真っ青にして休憩室から飛び出した。
「風間さん?!」
西野さんの声だ。
それ以外、何も分からなかった。
あたし、もう死ぬのかも。
こんなとこじゃなくて、せめて家とかで死にたかったな。
てか、ここどこだろう。
広い海が見えるよ。
あ、そういえば実習終わったら湊と沖縄行くって約束してたな。
約束守れなかったな…。
ごめんね、湊。