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口伝つちのこ異聞
【その他 官能小説】

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口伝つちのこ異聞-1

 ひと頃『つちのこ』ブームが世間を騒がせた。若い世代の中には何のことか分からない向きもあるだろう。蛇に似た胴の太い架空の生き物である。もっともいまだに実在すると信じてやまない人たちもいるようだからそこは濁しておこう。

 もう30年以上も昔のことである。各地から目撃情報が寄せられ、その度にレポーターがマイク片手に山野を歩き回ってまことしやかに『怪事件』を伝えていたものだ。中には死体や抜けがらの写真まで現われたが、どういうわけか実物がない。写真もピンボケでよく写っていない。
 『つちのこ大捜索』と称した特別番組まで編成されたが、見つかったのは数匹の蛇だけだった。
 専門家の意見はほぼ一致していた。獲物を呑み込んだ腹の膨れた蛇という説である。
 発見者には懸賞金を出すと宣言した自治体もあった。話題作りとはいえ、どれほどの効果があったのだろうか。
 最近はマスコミが取り上げることは皆無に等しいが、今でも『つちのこ』を観光に利用している町や村はある。
 私が昨夏訪れたN村もその一つである。戸数二十ほどの小さな村で、『つちのこ民宿村』と謳って、全戸が宿泊できるようになっている。

 ホームページを見ていて、ふと興味を抱いたのは、つちのこに関してではない。セールスポイントが気になって目を留めたのである。
『温かいおもてなし。各戸一日一組限定。男性のひとり旅歓迎』
女性ではなく男性である。男性というのは聞いたことがない。予約状況を見て驚いた。ほとんど埋まっている。温泉があるわけでもなし、冬には雪に埋もれてしまうほどの豪雪地帯である。

 茅葺き屋根の村落の写真が載っている。懐古趣味や田舎暮らしに憧れをもつ人たちも少なくないが、その流れに乗ったものなのかと思いながらも気になる記載があった。
『連泊不可。冷房不備。五右衛門風呂。トイレは水洗ではありません』
都会から訪れる人たちは、ふだんの生活に備わっているものは当然どこにでもあるものだと考えている。さらに案内は続く。
『○○駅より徒歩四十分。バス、タクシーなし。送迎はありません』
いいことが一つもない。あらかじめ苦情を回避するためのものか、あえて不便さを逆手にとっているのか、どちらにしても女性が好む所ではないと思われた。
 それなのに予約が多い。料金は一泊二食付きで六万円である。この情報からすればいくら一日一組とはいえ高いと思う。
 なぜなのか……。私が申し込んだ理由はそれに尽きる。特別な料理が出るのか、珍しい酒があるのか。それは期待にはちがいないが、むしろ好奇心、話の種にという気持ちの方が強かった。
 週末は三か月先までいっぱいだったので、有給をとって平日の予約をした。どんな所なのか、早く確かめたかったのである。


 梅雨明け直後の猛暑の中、私は駅からひたすら歩いた。実を言うと高をくくっていた。駅があるのだからタクシーの一台くらいあるだろうと考えていたのだ。だが、降り立ってみて、『案内』に納得せざるを得なかった。無人駅というだけでなく、付近に人家がない。遠くにぽつぽつと農家らしき家は見えるがそこまでかなりの距離がある。地図によると『村』はその方向とは反対の山に向かって行くことになる。
 私は何度か駅の方を振り返り、その存在の意味を疑った。
(どれほどの人が乗り降りするのだろう……)

 三十分ほど歩いて登りにさしかかって間もなく、『つちのこ民宿村』の案内板があった。そこからは山林を縫うように続く山道である。西日が木々に遮られていくらか涼しく感じられるものの、すでに全身は汗まみれだった。

 視界が開けたのはほぼ駅から四十分、案内通り村を見渡せる場所に出た。
 山懐に点在する茅葺き屋根。陳腐な感慨だが、日本の原風景とはまさにこの光景だと思った。屋根が反り立っているのは、冬場雪が深いからだろう。
 陽が山の端に隠れ始めて薄暗くなってきた。

 案内所と書かれた一軒を訊ねると、野良着姿の女が出てきて丁寧に頭を下げた。ノートを見て確認すると、村の略図を渡された。
「タノヤという家です。道は一本ですからすぐわかります。お寛ぎください」
 私が歩き出すと山道から旅行者らしい男が一人、やって来るのが見えた。


 『田の屋』とは屋号であった。腰の曲がった老婆に迎えられて中に入ると、薄暗い土間と囲炉裏の火がちらつく居間がひろがった。
「遠いところ、よく来てくれましたな」
かまどには火が焚かれて鍋や窯が湯気を立てている。
「かまどを使ってるんですか?」
「ここではいまでもそうです」
梁も柱も黒光りしている。相当の歴史を感じさせる風格ある建物である。

「いらっしゃいませ」
土間の奥から現われたのは割烹着姿の女だった。物音がしていたので人がいることはわかっていたが、微笑む女を見て、私は思わず言葉に詰まって、心を乱した。
 彼女は若く、艶やかで、あまりにもこの場にそぐわない輝きを持っていた。

「うちの嫁です」
齢の頃、三十前後だろうか。萌黄色の作務衣が、地味で落ち着いた雰囲気と、しっとりした、たおやかな演出を果たしていた。

「どうぞこちらに」
 女に従って一番奥の部屋に案内された。途中、見たところ八畳ほどの部屋が三つあった。
 「手を入れていないのでそのままの部屋ですが、ごゆっくりなさってください」
たしかに改装した様子はない。ただ、ここの畳だけが青々としているのは客間ということなのだろう。
「お風呂が沸いていますので、いつでもどうぞ。温泉ではありませんが、薪で焚いていますのでお湯が柔らかです」
「五右衛門風呂だとか」
女はちょっと含み笑いをみせて、
「それはいまはありません。檜風呂に替えましたので…」
そう言うと部屋をあとにした。


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