36 咎人の償い-6
ミスカは座り込んだまま、金色の魔眼でエリアスを見上げた。封じ石で中途半端に押さえてしまったアレシュとは違う、魔力を暴走させる事もない完璧に制御した魔眼だ。
「……どうせもう動けないしな。欲しいならやるよ」
小さな溜め息交じりに呟き、ミスカは諦めたように笑う。今さら傷ついたような顔をして。
「お前のワガママなら、なんだってきいてやるさ」
両手に最大の青白い雷をまとう。
自分の鼓動がやけに煩い。冷や汗が背中を伝う。
抱き締められた温度、煩いほどつきまとう笑い顔……池のほとりで聞いた苦しそうな声がエリアスにまとわりつく。
ミスカの『欲しいもの』など知らない。
どうしてこんな事をしたのか、理解できない。
わかるのはただ、『何をしようとしているか』
金色の魔眼はもう傷ついた色を隠し、飛び散る青い火花を静かに眺めていた。
長い呪文の詠唱が終わるとともに、青い閃光が散った。
強烈な雷が、ツァイロンの写る通信空間を破壊する。
ツァイロンの怒鳴が一瞬聞こえ、空間は何事もなかったように閉じた。
「……エリアス?」
ポカンとしたミスカの顔が、愉快でたまらない。
「お前っ!!頭大丈夫か!?何やったかわかってんのかよ!」
衝撃から醒めたミスカが、食ってかかる。
「それはこちらのセリフです。どうして、わたくしに自分を殺させようとしたのですか?」
膝をつき、治癒魔法で見た目ほど深くないミスカの傷を塞ぐ。
鱗の消えかけた肌から、見る間に傷が塞がっていく。
動けないなんて真っ赤な嘘だ。
これくらいを見抜けないなど、ツァイロンはそうとう頭に血が昇っていたのだろう。
「楽ではなくとも、貴方なら本気で逃げることも可能でしょう?」
「……いつも俺に冷たいのに、よく見てくれてるじゃん。やっぱ惚れてるだろ?」
「自惚れないでください」
からかって誤魔化そうとするミスカの頬を、思い切りつねってやった。
「いひゃひゃ!」
「わたくしこそ、自惚れて宜しいのでしょうか?真面目に答えないなら、勝手に推測しますよ。わたくしを認めさせるために、わざと殺されようとしましたね?」
ミスカは自由になりたかったのでも、作品を解放する英雄になりたかったのでもない。
酷く残酷で身勝手な男だ。
他の作品たち全てを巻き込んで……エリアスの飢えを満たそうとした。
「一世一代の名演技だったんだぜ。素直に付き合ってくれたって良かっただろ」
ミスカがひどいしかめっ面で睨みつける。
「三文芝居もいい所です。よくもまぁ誤魔化せたと感心しますよ」
「だまされたフリしてくれりゃ良かったんだ。ツァイロンが、あれくらいで死ぬわけねーだろ」
「ええ。これでわたくしも、一生逃亡者です」
溜め息が零れる。アレシュともこれでお別れだ。
決して許されない裏切り者として、命ある限り海底城から狙われ続けるのだから。
こんな愚かなこと、真っ平御免だった。それでも……
勝手に溢れた二筋の水が、頬を伝っていく。
「フフ……困りましたね。魔法はともかく、剣や腕っ節はからきしダメなのに」
「エリアス……」
震える声を絞り出す。
もう一度だけ、信じてみたいと思った。
「海底城の追っ手から一人で逃げるなど、わたくしには不可能です。誰かに頼らないと……わたくしに価値を認め、一生頼らせてくれる人がいなければ」
ミスカが深いため息をついた。
「目の前にいるじゃねーか」
まだところどころに青銀の鱗が光る両腕で、抱き締められた。
「可愛いお前のワガママなら、なんだって聞いてやる……ツァイロンが好きなら、それでもいいと思ったのに……」
雷を放つ最後の最後まで迷った。
そしてエリアスの渇望は、強烈に刷り込まれた服従より、ミスカをとった。
溺れる前に、必死でミスカから逃げようとしたけれど……遅かったようだ。
エリアスの飢えを満たせるのは、いつのまにかミスカに摩り替わっていた。
海底城でたった一人、初めてエリアスの価値を認めてくれた相手に……。
身体を離し、金色の瞳に要求する。
「ミスカの命をください……この先ずっと、わたくしを守るために使ってください」
ミスカは償うべきだ。
手軽な死に逃げるなど許さない。暴いた飢えを満たし続ける事で償うべきだ。
「……ああ」
頷かれ、大好きな苺を口に入れたときより、何千倍も美味しい感覚が全身に広がる。
口元が勝手にほころぶのを感じた。
「あ……」
エリアスの顔を眺め、ミスカが目を丸くした。
泣き出しそうな笑い顔で、もう一度抱き締められる。
「俺の欲しかったもの……手に入った」