本文-1
「ごめんなさい、今日はダメなの」
ホテルのバーカウンターで本日3人目となるお誘いを断った。レイディにこう言われたあと、理由を問いただすなんてのは野暮よ。そう、思いを込めて少しだけ口角を上げて見せる。
「残念だなあ。違う日にまた声を掛けてもいいかい?」
合格。唇の端をさらに上げて微笑みを作る。
「ええ、もちろん。喜んで」
本当に、待ち合わせさえしてなければ私も喜んで付いていったのに。と、隣のスツールによりかかったダンディを見つめる。イタリアものの上品なスーツに包まれていても解る筋肉質の身体、碧眼でないのが不思議なぐらいの西洋的な顔立ちから発せされる素敵なバリトンと、袖口からほのかに漂うトワレ。
「じゃあ、またいつか…」
そういい残し、そっと名刺を私のグラスの陰に寄せる。実にスマート。
ダンディが立ち去るのを見届けて、また一人きりになってからカードを取り上げてみる。肩書きはProfessor、ですって。きっと女学生からはモテモテね。知的な、という意味でも本当にハンサムだったもの。ちょっと惜しいことをしたかしら、と溜息を付く。でも、向こうが著名人だったらそれはそれで厄介かも。「目下売り出し中のアイドルと高名な教授の熱愛」なんて、格好のゴシップ誌のネタよね、きっと。
そう、私の職業は「アイドル」だ。しかも、三十を越えた。笑ったボクちゃんはスライサーに掛けて鱠にするから、そのつもりで。どうしてそんな仕事にって言われても、そんなの私が一番解らないんだもの。
でも、アイドルの仕事はそれなりに楽しい。楽屋は女の園だし、きっと女子校に通うってこんな気持ちなんだろう、と思う。それに、ステージから見下ろした客席に群れる、自分より若いオトコのコから声援を送られるのはなによりも気分がいい。
指先で摘んだカクテルグラスを回して、次は何を頼もうかしら、とアルコールに漂うチェリーを眺めていたら、私の待ち人が現れた。
「すいません礼子さん、お待たせしちゃって…」
よほど急いできたのかしら。息が少し上がった實松(さねまつ)プロデューサーに隣を勧める。
「いいのよ。私も楽しんでたし…」
このバーはとても気に入った。カクテルも素敵だし、声を掛けてきた男性も高得点ばかり。唯一の落第生は、實松君、あなたよ。と、年下のプロデューサーに向かってにっこりと微笑む。
「何か飲む?」
「いえ、今日は車なので…」
「信じらんない、ここで待ち合わせしてるのに、車で来たの?」
「ええ、すいません。でも、仕事の打ち合わせでもありますから…」
叱られた子犬のような目つきで私を見上げる。實松クンは20代半ばの駆け出しプロデューサーで、生真面目な性格のせいか、少々融通が利かないところがある。私たち事務所の女子がからかっても顔を赤くするのが精一杯で、ま、そこが可愛いといえば可愛いんだけど。それに根っからの体育系だから、骨の髄まで年功序列が染み着いちゃっている。本来上司であるはずの彼が私に敬語なのは、そのせい。
「今週中に次の衣装のイメージを決めないといけないってのは、伝えましたよね」
「ええ、聞いてるわよ」
「それで、礼子さんの希望をリサーチして…」
「ちょっと待って。私たちの魅力を引き出すのがプロデューサーの仕事じゃないの?直接聞くんじゃなくて…」
「それはそう、なんですけど…」
「プロデューサー失格じゃなあい?それって」
「はい…すいません…」
あら、耳まで赤くしちゃって。本当、可愛いんだから。
「でも、こうやってお話を伺っているうちに、気付くかもしれないじゃないですか、礼子さんの魅力に…」
「じゃあ今は気付いてないの?」
クスクスと笑いながら、さらにからかってみせる。
「いえ、そんなことないです。礼子さんは、とても魅力的です…」
「ふうん。じゃあ、どこが魅力的か言ってみて」
實松クンの方へ身体を半分よじり、片膝をついて胸の谷間を強調して見せる。今日はがっつりデコルテの開いたカットソーを着ているから、どんな朴念仁でもこれに気付かないってことは、あり得ない。
「えっと…あの…。大人の雰囲気というか…その…」
「それだけぇ?」
眉と一緒に、谷間もちょとだけ上げて見せた。實松クンの視線がそれの交互を行き交い、ますます顔が赤くなる。これじゃあどっちが酔っぱらってるのか解りゃしないじゃない。
「いえ、その…。色気というか、セクシーな…」
「ス・ケ・ベ」
「ええ?そんな、違いますよ!ただ僕は…」
「冗談よ。それで、どうするの、これから」
「だから、礼子さんの人柄をもっと知ろうと思って、それで…」
「それってもしかして、口説き文句のつもり?だったら落第ね」
「もう、茶化さないでください。これが僕の仕事なんですから」
「フフ、いいわよ。でもその前に…」
實松クン、むくれた顔も可愛いのね。ちょっと苛めすぎたかしら。
「その前に、なんですか?」
「もう一杯、頼んでいいかしら」
實松クン用にノンアルコールのシンデレラと、私のジャックローズがテーブルに揃えられ、小さな乾杯をした。シンデレラをオーダーしたのは事務所がつけた私たちの総称「シンデレラガールズ」にかけたのかしら。それとも、12時までで帰りますって意思表示?
言うに事欠いて「一応、ここは経費で落ちますけど飲み過ぎないでくださいね」ですって。そんなだから減点されるのよ、と彼に言いたくなる気持ちをカクテルで流し込んだ。