第1話 密室の扉-1
とある学校の廊下。
時は夕闇に差し掛かる頃、窓辺のオレンジ色の灯りを背負いながら、僕はある一室に向かった。
その一室とは、礼法室だ。
この時間帯になれば、誰も立ち寄る事は無く人気は無かった。
ここは中学の校舎でもあり、ほとんどの生徒は帰宅なり、離れた体育館での部活動などに励んでいた。
そして僕は、ここの教師でもあった。
名は、木本晋平。
歳は26で、まだ駆け出しの教師だ。
そんな僕が、人気のない礼法室に向かったのは、ある人物と約束していたからだ。
その人物とは、目と鼻の先にある扉の向こう側に居た。
すでに礼法室の前に、僕は立っていた。
ココン・・コン・・コン・・・ココン・・コン・・コン・・・・・・
「どうぞ・・・お入り下さい」
事前に決めておいた、変則的なリズムのノックで合図をすると、扉の向こうから女の声が聞こえてきた。
「失礼します」
僕は、軽く挨拶を交しながら、礼法室へと入った。
入り口の四角いコンクリートの土間には、一足の脱いだグレーの低めのパンプスが、すでに綺麗に揃えられていた。
「申し訳ございませんが、鍵をお締め下さい」
僕が礼法室に入るなり、扉の向こうに居た女はいきなり催促した。
そのパンプスを履いている人物でもある。
言わるがままに鍵を閉めると、礼法室はこの女と僕だけの密室となった。
僕が靴を脱いで畳みに上がると、座布団に正座して座る女が目に映った。
人知れず会う為に照明は灯しておらず、その姿は良く見えなかった。
背中越しの窓ガラスから照らされるオレンジ色で、薄らとグレーのリクルートスーツに身を包んでるのは分かった。
「それでは・・・こちらにお座り下さい」
女は、自分の目の前に敷かれた、もう一枚の座布団の上に座るよう促した。
正座する女に合わせて、僕も正座して向かい合った。
この距離になれば、女の容姿はハッキリと確認できた。
端正な顔立ちは、鼻筋と目がハッキリとしていたが、小じわや染み、深い口元のほうれい線だけは年増を感じさせた。
さらに、タイトなリクルートスーツを着る身体は、フィットするよりも、どちらかと言えば張り付いてるほどの豊満さがあった。
それでも醜い程では無く、むしろ正座した淡いグレーのタイトスカートから覗く、目立つほどに黒いストッキングを履いた脚は、ちょうど良いくらいの肉付きで魅力的な所もあった。
「こちらをお受け取り下さい」
女は、膝元に置いた黒いセカンドバックから茶色の封筒を取り出し、揃えた両手で丁寧に僕の目の前に差し出した。
「とりあえず、中身の方も御確認下さい」
僕を見つめながら促す女の瞳には、気品溢れるべっ甲眼鏡が掛けられていた。
さらに、その両端には金色のチェーンがぶら下がっており、この女の威厳が感じられた。
女は威厳ある見た目の通りに、僕の勤務するこの中学校の校長をしていた。
名は井沢恵子と言い、歳は僕と二回りも違う51歳の女だ。
僕は、この女校長からある事を頼まれて礼法室に出向いていた。
むしろ頼まれたと言うよりも、契約を交したと言っても過言では無かった。
その内容とは、正座する校長の後ろに敷かれた、一組の布団の上に二つ並ぶ枕が物語っていた。
お互いが教師の立場でありながら、不適切なものを伺わせるシチュエーション・・・・・・。
しかも、50も過ぎた女性校長が、まだ20代もの若い男性教師である僕との関係性・・・・・・。
経緯を辿るには、ある程度の時間まで振り返る事になる。
それは一週間ほど前の、放課後の学校での事だった
「木本先生・・・急にお呼び出してごめんなさいね」
この時は校長室に呼ばれて、テーブルを挟むように、校長と向かい合わせでソファーに座っていた。
この時の服装は、僕は今とほぼ変わらなかったが、校長は紺のリクルートスーツにベージュのストッキングを履いており、今と色のコンストラストは逆になっていた。
色を統一せずに、濃淡でアクセントを付けるのが校長の拘りなのだろう。
足元を見れば、低めのパンプスも紺色を履いており、淡い色のベージュのストッキングがワンポイントでアクセントになっていた。
それでも、相変わらずの金色のチェーンがぶら下がったべっ甲眼鏡だけは、校長の威厳を保っていた。
「いいえ・・・僕の方も仕事の方は、大体片付けておきましたから大丈夫です」
「何だか、急かしたみたいで本当にごめんなさいね」
普段の校長とは違い、言葉を柔らかくして謝るのが気になったが、その理由は話を進めていく内に明確になった。
「それで御用件とは何でしょうか?」
「私事になるんですけど・・・今年度付けで学校を辞めようかと思ってるんです」
「でも・・・こちらに来られて、まだ二年目でしょう?」
校長は、去年の春に配属されたばかりだった。
ちなみに今は、二年目の秋に差し掛かった頃だ。
「ええ・・・確かに就任してニ年では少し早い気がしますけど、私にも諸事情がありまして・・・・・・」
「それは何でしょうか?」
「去年の暮れから、田舎の母親が病気になり入院してるんです。高齢ですから、このまま回復するのは難しいとも言われました。本来なら、身内の者が最後まで側に居るのが筋ですが、生憎一人娘の私しかおらず困っておりました。それに・・・これも御存じでしょうが、私は生涯独身でおりまして・・・・・・・」
「つまり、田舎に帰って母親の面倒を見たいわけですね?」
「ええ・・・木本先生のおっしゃる通りです」