『SWING UP!!』第13話-7
「はじめまして。木戸、航です」
「知っている」
居間は、畳敷きの和室になっており、漆塗りの大きな座卓が中央に鎮座していて、その上座には、厳しい顔つきをした、和装の男がいた。言うまでもなく、結花の父親である。
「結花の父、紀一郎だ」
初老を過ぎたばかりで、黒々とした髪も若々しく、かたや、和装で、腕を組みながら口を真一文字に結んでいる様子は、一昔前の頑固親父を想像させる。
「構わない。腰を、下ろしたまえ」
「はい」
座卓の下座に、座布団が用意されていた。航は、一礼をすると、座布団に正座して、背筋をしゃっきりと伸ばした状態で、臆することもなく、紀一郎と視線を正対させた。
「ふむ…」
恐縮するのではなく、かといって、驕慢でもない。自然体でありながら、何処か凛とした空気をその所作に感じて、紀一郎は少し嘆息を零した。
「結花とは、仲良くしてもらっているそうだが」
「はい。お嬢さんとは、親しく、交際をさせていただいています」
「む…」
改めて、“交際”と言われると、一人娘の男親としては、どうしても胸が騒ぐ。真一文字の口が、やや“への字”になるのも、やむを得ないところだ。
だが航は、“交際”という言葉に敢えてこだわった。隠し立てをするように、言葉を濁す理由は、全くないからである。
「結花はあの通り、わが娘ながら勝気なところがある。振り回されて、迷惑しているのではないかな?」
「そんなことはありません。お嬢さんの持っている明るさは、いつも自分を、励ましてくれています」
「ほう?」
事実、控え投手としての投球練習を始めるようになったこの頃は、相棒のキャッチャーとして、自分の投球を受け止めてくれている。投手としてもトレーニングを始めた自分を、叱咤激励して、明るく先導してくれているのだ。
「お嬢さんの存在は、今の自分に、なくてはならないものです」
航は、思っていることを物怖じすることもなく、はっきりと言ってのけていた。
「それはつまり、添い遂げる覚悟がある、ということかな?」
「はい」
「言ってくれるじゃないか」
紀一郎の口元が、“への字”とは逆になった。笑ったのである。交際宣言をするばかりか、その後一生、結花を手放さない覚悟をはっきりと示してきた、その若さに、苦笑せざるを得なかったのだ。
「…時に、君も野球をしているのだったな」
苦笑をすぐに消し、厳しい顔つきのまま、紀一郎が言う。しかし、その言葉尻は幾分和らいだものになっており、毅然とした意志を崩さない航に対して、好意を抱き始めている様子でもあった。
「何処のファンかな?」
「東京ガイアンズです」
航は、即答していた。
「ふん」
その答えに対して、紀一郎はまたも苦笑を浮かべた。
「結花から、聞いていたな」
「はい」
紀一郎が、東京ガイアンズの熱心なファンであることは、確かに耳にしていた。だがしかし、航自身も、物心がついた頃には既にガイアンズのファンであったことも事実で、その点について、後ろめたさは全くない。
「お嬢さんがガイアンズのファンになったのは、お父さんの影響だと、何度もお聞きしていました」
「ふ、む……」
自分のご機嫌取りのために、あらかじめ結花から聞きだしたわけではない、ということを、航の言葉遣いから悟る。
「君はまだ、十八だったな。だとしたら、永嶋、堀口、原沢の三人が監督の頃と重なるか。どの監督時代が、良かったと思う?」
「実は、その前の、藤田監督の頃が、チームとして魅力を感じています」
「ほう? 藤田監督の時はまだ、君は生まれたばかりの頃だろう?」
「はい。ただ、自分が好きな阪籐(さかとう)投手の全盛期が、藤田監督の時だったので、昔の映像などで、よく見ていました」
「阪籐、か……懐かしいな」
サイドハンドから繰り出される豪速球と、キレのあるスライダー、シュートを駆使して、通算で180勝を挙げた豪腕・阪藤の雄姿を、紀一郎は思い出しているようだった。阪籐投手は、“投げれば負けない”という神話を作り、200勝には届かなかったが、年代を代表する投手のひとりとして、必ず名を挙げられる名選手でもあった。