☆-4
5月17日。
ついに実習が始まってしまった。
陽向は半分寝ながら電車に揺られていた。
今日は奇跡的に6時に目覚めることができたのだ。
今回の実習先は電車で40分かかるところだ。
そんなところに割り振った先生を心の底から恨みたい。
目的の駅に着く。
「おはよう」
改札をくぐると、同じグループの佐山優菜がやわらかく挨拶した。
初日はみんなで一緒に行こうとグループのみんなと話していたのだが、まだ優菜しか来てないようだ。
優菜は清楚系女子代表と言えるほど清楚だ。
清楚とは、彼女のためにあると言っても過言ではないと陽向は思っている。
「おはよー。実習始まっちゃったね…。結局、課題昨日まで残しちゃってさ、夜にやったよねー。はは…」
「ヒナちゃん、いつもだよね」
「学ばないよねー」
得意の自虐ネタをかます。
湊の予言通りになってしまった自分はなんて愚かなんでしょう。
いつになったらこの癖は直るんだか…。
優菜と話していると、続々とグループの子が集まってきた。
「お、今日は寝坊してないんだ」
陽向を見て嘲笑う小太りの冴えない男子代表、山崎浩太。
「ちょー眠いんですけど！はぁー実習だるい…」
実習だというのに10センチはあるであろうヒールを鳴らしながら歩くギャル代表、金井ひとみ。
「おはようございます」
アニメ好きでいつも趣味の合う仲間たちとアニメの話をしているオタク代表、沢野絵美。
今回の長い実習は、老年、成人、地域、在宅の4つだ。
最後までこの強烈なメンバーと実習をするのだ。
陽向はどのタイプにも属さないが、わりと色んな人間とやっていける性格なのでさほど気にしていなかった。
しかしグループ発表の日、奈緒に「陽向のグループマジやばい！」と爆笑され、楓と千秋にも心配されたのである。
確かに強烈キャラが集結しているが、実習となればみんなで協力して絆も生まれるだろう。
無駄にポジティブな陽向はそう考えていた。
「じゃあ行こっかー」
実習先は駅から徒歩5分のところにあるリハビリ病院だ。
誰も仕切ろうとしないので、陽向が声を掛け、みんなが歩き出す。
ふと、ひとみが隣に来て陽向と腕を組み「ねーねー、このグループヤバくなーい？」と耳打ちした。
「え？」
「あたしさー、沢野さんとかちょー無理なんだけど。喋ったことないし。それにさー、優菜ちゃんもなんか合わないってゆーかー」
朝っぱらからそんなこと言うなよ！と言いたくなる。
しかも実習の初日に。
陽向は何も答えず、愛想笑いを浮かべてやり過ごした。
病院に着き、着替えを済ませてから病棟へ向かう。
実習においての個人目標を発表して、今日は簡単なオリエンテーションと、受け持ちの患者決めで終了した。
たったそれだけなのに、帰宅した時は疲れがどっと押し寄せてきて、陽向はしばらくソファーで横になったまま動けなかった。
はぁー…疲れた。
こんなのが2ヶ月も続くと思うと心が折れそうだ。
ひとみには初日から沢野の悪口らしき事を言われるし…。
実習だけでもストレスなのに、人間関係もめんどくさい事になるのは御免だ…。
脳内で色々考えていたらウトウトし始め、ハッとなる。
予習をしなければ。
陽向は重い身体を無理矢理起こして、テーブルに散りばめられた課題と奮闘すべく、シャーペンを握り締めた。
実習は楽しいと言えば楽しいが、記録が面倒だ。
本当に看護師は毎日こんな勉強漬けなのだろうか。
帰ったら、その日の反省、明日の目標と行動計画の立案、そして患者さんの病態の勉強。
今行っている病院はリハビリ病院のため、ほとんどが脳血管疾患の患者さんだ。
脳だけは複雑で無理だ。
頭が拒否反応を示す。
実習の第2週目からは本格的に患者さんにケアを実施していく。
今日はその第2週目の初日だ。
陽向は挨拶をした後、手を洗って患者さんのところへ向かった。
今回の担当の患者さん…大橋さんは、脳梗塞が原因で右片麻痺になってしまった人。
痩せっぽちで可愛いおばあちゃんだ。
「大橋さん、おはようございます！」
にこやかに挨拶するが、顔面も麻痺が残っているため大橋さんは上手く笑えていなかった。
「今日もあなたが担当してくれるの？」
10秒以上経ってから動いた大橋さんの口の動きから、そう言ってくれているのが分かる。
言葉は理解できても、発語には時間がかかる。
1週間関わっただけでも、少しではあるが大橋さんの事が分かるようになってきたことに陽向は嬉しく思っていた。
「そーですよ。今日も風間が担当します。よろしくお願いします」
「うれしい」
「本当？よかったです。今日もリハビリ頑張りましょうね！」
「がんばります。よろしくお願いします」
大橋さんはゆっくり陽向の手を握った。
シワシワの細い手。
あったかい…。
この職業のいいところ…
心が温かくなるところ。
どんなに辛くてもこの人のために頑張りたいって思う。
患者さんだって頑張ってるんだ。
陽向は、よし、今日も頑張るぞ！と気合いを入れて、ナースステーションに戻った。