『SWING UP!!』第11話-34
2回の裏。先頭打者の桜子が、右打席に入った。
(“色即是空”は“ムービング・ファストボール”……)
打席の中で桜子は、大和と岡崎の会話を反芻している。
「プレイ!」
審判の宣告を受けて、マウンドの天狼院隼人が振りかぶる。高く足の上がる豪快なフォームはしかし、股関節の柔らかさもあって、とてもしなやかな動きを連動させながら、左腕の振りにエネルギーを収束させていった。
「!」
内角の膝元を、球威のあるストレートが貫いてくる。
「ストライク!」
なるほど、確かに、直球というにはわずかにブレたように、桜子には見えた。そして今回の変化は、ほんのわずかにシュート回転をして、ストライクゾーンの内側に入ってきたものだ。
(一定しない回転、かぁ……)
球筋の見極めが、ことさらに重要となってくる。桜子はひとつ深呼吸をすると、まるで瞑想するように、その目を閉じた。己の中で、集中力を高めるためだ。
そして、きっ、と目を見開いたときは、既にマウンド上の隼人が、高く上げた足を接地させて、投球をする直前のところであった。
びゅっ、と腕がムチのようにしなりながら振られ、先ほどと同じように膝元へ直球が投じられる。
今度は、明らかにスライドした軌道を描いて、響の構えるミットの中にボールが収まった。
「ストライク!!」
右に左に、忙しなくブレる直球である。それが、“ムービング・ファストボール”の真骨頂ともいえるのだが。
(………)
三球目。桜子の集中力は更に高まって、それがむしろ、視界を意図的に狭いものにする。隼人の投球モーションを追うことなく、桜子の視線はその左腕に照準が当てられ、指先から弾かれた“色即是空”のストレートの軌跡に絞られていた。
「!」
アウトコースに、それはきた。だが桜子は、まだスイングの始動をしない。
(ここ!)
定めた一点をそれが通過したとき、桜子のバットが一閃した。
隼人の投じる“色即是空”は、球種としてはストレートなのだ。いくら左右に微細な変化をするとはいっても、本格的なシュートやスライダーに比べれば、球筋は一直線に等しい。
だから桜子は、あくまでもその“色即是空”をストレートとして、スイングのタイミングを見計らった。自分の決めた地点をそのボールが通過する一瞬に、どのような変化が起こるか、高めた集中力でそれを見定めて、スイングの軌道を決めたのである。
す、と内側にボールが流れた。それでもお構いなしに、桜子は自分の思い描く軌道のままに、バットを最後まで力強く振り切った。
ドガギン!
「!」
両手に鈍い感触が残る。芯を少し、外れていたのだろう。だが、最後まで振り切ったことで、バットに乗った桜子のパワーが、隼人の“色即是空”を弾き返して、強い当たりのゴロが三遊間に転がった。
「くっ…!」
三塁手の仙石が、グラブを伸ばす。しかし、その先をボールは転々として通過し、遊撃手の独楽送もそれを捕まえることが出来ず、打球は三遊間を抜ける左前打となった。
「Good job!」
ベンチの中で、エレナがひとつ手を叩く。“ガンバッタ賞(ほっぺたへのキス)”までには至らないが、それでも、“色即是空”に惑わされない、自分のスイングをしっかりとこなした桜子に対する賛辞を、監督としてエレナは惜しまなかった。
(桜子の打ち方が、ひとつのヒントだな)
大和は、ウェイテイング・サークルから桜子の奮闘を見ていた。あの思い切りがやはり、肝要だろうと改めて思う。
「………」
だから彼は、狙うことにした。
「!」
その初球を、である。
キィン!
外角に来た“色即是空”を、迷いのないスイングで一閃し打ち放った。桜子とは違って、芯を十分に食ったその打球は、一塁手・能面の頭上を痛烈な勢いで抜けようとする。
「!?」
マウンド上の隼人が瞠目していたのは、当たりの良い打球を飛ばされたことに、畏怖を一瞬、感じたからだろう。
それほどに、強い打球だったのだ。
「甘いヨ!!」
だが、飛んだ方向が良くなかった。なにしろ、一塁手は、“隼リーグ”最長の2メーター選手・能面である。
バシッ!
と、反射良く飛び跳ねて、その長い腕を伸ばして、ファーストミットの中に大和の打球を、ダイレクトで捕まえていた。
「アウト!」
「なっ!?」
彼でなければ、獲り得ない一死である。そして、ファースト・ライナーという打球の特性上、離塁していた桜子も当然、ベースに帰ることが出来ず、
「アウト!!」
大和の打球を掴んだ能面にベースを踏まれて、そのままアウトに仕留められた。
「アルフレ、よくやった! さっきのゲッツーは忘れてやるからな!」
肝を冷やした隼人だったが、能面の身長を活かした好守に助けられた。
「OK,OK.ヤマト、nice attackでしたよ」
一方で、当たりは良くとも、結果としてダブルプレーになってしまった大和だが、エレナはそれを咎めず、むしろ、桜子と同じように自分のスイングで振り切ったその姿勢を称え、労っていた。
(少し、球威に圧されたのか…)
打球がもっと塁間に飛んでいれば、捕まえられることもなかっただろう。大和としては、それが惜しいと思う。
だが、隼人の肝を冷やしたという意味では、意義のある打席になったことも、確かなところであった。
「ストライク!!! バッターアウト!!! チェンジ!!!」
6番の吉川は、フルカウントまで何とか粘ったが、膝元をわずかに抉ってきたシュート回転の“色即是空”にバットを出し切れず、結局のところ三振に倒れた。
全く同じような展開で、2回の攻防は終わりを迎えたのであった。