偽りの空-1
ようっ!聞いてくれ、俺はイかれてる。
おかしい、狂ってる、まともじゃない。呼び方は何でも構わんが、とにかく正気じゃねぇ。イかれてるんだ。
その証拠に、今俺がいるこの場所。ホールと呼ばれる、十人そこらが思い思いにくつろぐ広い部屋だが、扉や内窓にはクッションに包まれた鉄格子がついており、廊下からは屈強な看護師がじ〜っと中の様子を窺っている。おそらく外窓にも鉄格子がついてるはずだが、まぁそれはいい。いずれにせよ世間様から精神病棟と呼ばれるこの部屋に、正気な奴など居はしない。だから、そこにいる俺も当然イかれてると言うわけだ。
例えばあいつ、そう、あの天井から吊り下げられたテレビを一心に見てる中年のおっさんだ。奴の名はスター。本名の方は覚えてないが、ここでスターと言えば、誰もがあいつを指すから便宜上問題はない。
初めてここに来た日、と言ってもほんの二か月程前の話だが、奴は俺を見るなり親しげな笑みを浮かべてこう言ってのけた。
「やぁ、君はクリンゴン星人だね。僕はカーク・スカイウォーカー、惑星連邦に所属するジェダイの騎士だ」
どうやらこいつの頭の中ではスター・トレックとスター・ウォーズの世界がごっちゃになってるようで、薬もやってないのに、四六時中星の世界へトリップしてるスペーストラベラーだ。
時々腕時計に向かって「転送してくれ、チューバッカ」と言ったり、フォースの力でスプーンを浮かせようとするので、見ている分には面白いが、話しかけられたりすると非常にうざい。まぁ、惑星タトゥーインに帰る日が着たら、ミスタースポックによろしく言っといてくれ。フォースと共にありやがれ。けっ!
「よう、バンパイア、またいつもの定位置か〜?」
おっと、めんどくさいのが来きやがった。訂正しよう、さっきここにはイかれた奴しかいないと言ったが、こいつはある意味正気を保ってる。まぁ、あくまで今は、だが。
奴は田野中康夫。自称「レディキル」とほざく、まゆ毛の薄い、笑い方がムカつくクソ野郎で、ついでに連続婦女暴行犯だ。
ナイフをちらつかせて、小中学生ばかりを狙ってレイプに及ぶと言う胸糞悪い犯罪を繰り返し、四件目でお縄になったチンピラ崩れだ。本来なら高い塀に囲まれた素敵なホテルのお世話になるはずだが、先日の裁判で見事イかれてることが証明され、一週間前にここへやってきた文字通り社会の屑である。
奴は窓から一番離れた壁際のテーブル、壁に向かって座る俺の隣に腰を下ろし、顔の前で手をひらひらさせてくる。まったく、こいつのイラつくにやにや笑いを見てると、衝動的に殴りたくなるぜ。
「お〜い、バンパイア、無視するなよ〜」
ちなみにバンパイアと言うのはここで俺についた仇名だ。と言っても、別に俺は人に噛みついたり血を飲んだりするわけじゃない。この仇名がついたのはもっと別の理由で‥
「なぁ、お前やっぱり正気なんだろ、お互い仲良くしようぜ〜」
冗談じゃねえ!てめえとお友達になるくらいならハエとでも遊んでた方がまだましだ。へい、そこの空飛ぶいかしたフライガール、俺と一緒にブンブンするかい?
‥あほくせぇ、とにかくこいつに付きまとわれるのは面倒だ。いつもの手で追っ払おう。
「おい、ブラックジャックがこっちを見てるぜ」
俺は廊下の窓からホールを窺う、四十代くらいのガタイのいいおっさんをしゃくって見せる。一瞬、奴の表情が凍りつき、視線が泳ぐ。だが、すぐに元のうすら笑いを浮かべると、今度は大声で喚きながらホールの中を走りだす。
「イェア〜、カマ〜ン!」
奴は中学生レベルの英単語を大声で叫べば、イかれてるように見せられると思ってるのだろう。もっとも、あれは演技だ。何しろ奴は正気であることがばれれば、相当長い間、刑期を努めねばならないはずだからな。だが奴は実のところ、何もわかっちゃいねぇ。刑務所なんかよりこっちの方がよほど正気を保つのが難しいところだと。まぁ、来月になるまでに、ここから出してくれと頼むようになるか、もしくは本当にイかれてしまうか。結果は神のみぞ知るだが、はっきり言ってどうでもいい。