第6話-5
―――そんな格闘の末。
結局、今彼女の手に収まっている下着は、まるでベビードールのようなフリフリのレースがふんだんに使われているピンクの下着。
胸元の切れ込みが深い、扇情的なブラジャーの真ん中には可愛らしいリボン。さらに余計な事に、パンツの横の紐状のリボンは、少し引けばすぐに解けるようになっている。肩紐も同じ仕様で、何だか脱がされるためだけにあるような下着だ…。
やはり、シャワーを早めに切り上げて正解だった。
この下着を手にしたまま、もう何分ここに蹲っている事だろう。
そろそろ決断を下さなければ、圭輔も痺れを切らし始める頃合になりそうだ。
だが、彼女の葛藤は続く。
(無理、こんな下着、全然私に似合ってないのに、着て出て行ったら絶っ対に笑われちゃうよ…どうしよう…。別にどうしても着けなきゃいけないわけでもないんだし、もうバスタオルだけ巻いて出て行けばいいかな。……あー、でもせっかくくれたんだしなぁ)
実は購入した当日、彼女は一度だけ自室で試しにこれを身に着けていた。
自分に似合う・似合わないはさておき、今までこんなに可愛らしい下着を身に着けた事などなかったので、彼女の中に僅かながらでも存在する“乙女心”というものが刺激されたのは確かだ。
…結局のところ、英里には圭輔の反応が一番気になるのだった。
もし笑われたら、羞恥と自分の浅はかさに、きっと泣いて逃げ出してしまいそうになる。
考えれば考える程、どくどくと心臓の音が大きく鳴り響き、自分で自分を追い立てているような心持ちになった。
正確な時間はわからないが、そろそろ10分近くは経つ頃だろう。
こんな状態で踏み込まれたら、それこそ恥の上塗りで、もう彼に顔向けできない。
迷う事数分。ついに、英里は心を決めた。
きっとどうせすぐに脱がされてしまうのだから、それまで何でもないような顔をしていればいい。
何とか覚悟を決めて、英里は巻いていたバスタオルを外すと、その下着を身に着け始めた。
(……遅い)
もう既に約束の10分以上は軽く過ぎている。
女の風呂は長いものだし、仕方ないと思いつつも、かなり焦らされている感は否めない。
襲うなんて冗談で言ったつもりの圭輔だが、もう本気でそうしてしまいたい衝動に駆られていた。
すると、ようやく浴室の方から扉を開くような音がして、英里がそっと顔を半分覗かせる。
だが、扉の陰に隠れたままで、なかなかそれ以上出てこようとしない。
「英里?」
怪訝そうに圭輔が声を掛けると、英里は俯き加減に浴室から姿を現した。
――しばらく、お互い無言だった。
英里は緊張のあまり何も言葉が発せられなかったのだが、圭輔は目を丸くして彼女を凝視している。
驚いて、声を発するのを忘れていた。
彼女の姿を認識した後でも、思わず視線を上から下まで何度も往復させて、見つめてしまう。
それなりに長い付き合いなので、彼女が必要以上に自分を美しく見せる事や、着飾る事に対して関心が薄いのはわかっていた。
そんな彼女が、今まで見た事がない位、可愛らしい下着を身に着けていたから。
少しロリータ趣味が入っているようなそのベビーピンクの下着は、きっとそれ相応の体型の子が身に着けると、愛らしいだけの印象しか与えないのだろうが、手足がすらりと伸びたスレンダーでどちらかというと大人っぽい体型の英里が身に着けていると、彼女自身の持つ凛々しさに下着の可憐さが並存していて、不思議な印象を与える。
そのアンバランスさが、可愛いのに、何故かすごくいやらしく感じて…。
つい、圭輔が瞬きを忘れる位に見惚れていると、英里はまた浴室の中に舞い戻ってしまった。
「あ…」
ぼうっとしていた彼は、目をしばたかせてようやく正気に戻る。
英里は浴室のドアの内側に引っ込むと、しっかり鍵を掛けてからしゃがみ込む。
あの無言の時の長さは一体何なのだろう。
数秒佇んでいただけだが、英里には実際の10倍くらい長い時間が経ったように感じられた。
恥ずかしさと逃げ出したい気持ちとの鬩ぎ合いに耐えながら、唇を噛んで俯いていた。
眼鏡を掛けていなかったので、遠くにいる彼の表情は窺えなかったのだが、きっと呆れてものも言えなかったに決まっている。
結果、逃げ出したい気持ちが勝り、またここに戻ってきてしまった。
しかも、それで英里自身もこの姿を意識している事が完璧に圭輔にばれてしまい、ますます出て行きづらい状況を作ってしまった。
やはりこんな姿見せるべきではなかった。恥ずかしすぎる。もう怖くて出て行けない。
(やばい、泣く、かも…)
惨めさのあまり、英里が嗚咽を漏らしかけた時、外から戸を叩く音と同時に彼の声が聞こえて、びくりと体を震わせる。
「英里、どうしたんだ?」
「…どうもしないです」
啜り泣きそうになるのを必死に堪えて返事をしたつもりだったが、圭輔には隠しきれなかった。
「泣いてるのか…?」
「…泣いて、ないです」
そう返答した彼女の震えた声は、もう疑いようがなく、完全に涙声だった。
そんな自分が情けなくて、英里の瞳からますます涙が込み上げてくる。
「とりあえず、そんなとこに閉じこもってないで出て来いよ」
「無理です。恥ずかしくて当分無理」
「恥ずかしいって、何が」
「だって、似合わない格好見せちゃったし…」
それまで、圭輔には英里の涙の理由が皆目見当がつかなかったのだが、その発言で何となく彼女の心中を察した。
「そんな事ないって、か…」
「嘘、絶対呆れてた」
英里は圭輔の言葉に被せて、彼の気持ちを聞こうともしない。聞くのが怖かった。
もう今となっては溢れる涙を堪える事もなく、英里は膝頭に顔を伏せて嗚咽を殺しながら泣いていると、
「…いいから、ここ開けろ」
少し強い口調でそう言う圭輔に、英里は慄く。