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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第6話-27

「お帰りなさい」
そう言いながら、淡く微笑んだ。
「ただいま」
長時間の労働で、少し疲れたような表情だが、圭輔も英里に柔らかく微笑みかける。
「お疲れ様です。お風呂沸いてますから、良かったら先に…」
「うん、じゃあそうするよ。ありがと」
これが、ここ最近の、いつも通り。それが逆に英里の不安をますます煽るのだった。
自分も隠し事を持っていながら、相手が隠している事は白状させるというのは、不公平だ。だから、彼の様子に違和感を覚えながらも、何一つ尋ねようとはしない。
その結果、うわべだけの会話を交わし、貼り付けた笑顔の下で、互いに肚の探り合いをしている。不健全な関係。
好き合っている同士であるはずなのに、可笑しな事だな、と圭輔の姿が見えなくなった後、英里は切ない吐息を零した。


「ねぇ、圭輔さん…」
ぎりぎりのスペースで二組布団を床に敷き、その片側に英里は横になっていた。夜中の1時を回った頃だろうか、英里は隣の圭輔にそっと声を掛けた。
「ん?」
もう眠っているならばそれはそれで彼女は構わないと思っていたが、彼はまだ起きていたようで、目を瞑ったまま返事をした。
「私、明日家に帰ろうと思います。いろいろと、お世話になりました」
「……そうか。じゃあ、帰る時は家まで送ってくよ」
元々、一週間程で彼女の両親は帰国する予定だと言っていたし、圭輔は抑揚のない声でそう答えた。
それだけで、会話が途切れる。
隣にいるのに、また互いの存在がとても遠くにいるような感覚がした。
2人にとって、今回は付き合い始めてから一番長い期間、同じ時を共有していたはずなのに、距離は縮まらない、むしろ離れてしまったかもしれなかった。
英里は寝返りを打ち、圭輔の方から背を向ける。
何を、期待していたんだろう。
彼に、引き止めて欲しかった?もう少し一緒にいたいと言ってもらえれば、それで満足した?
少なくとも、あっさりとした圭輔の返事に、英里は満たされないものを感じた。
結局、答えは出せないままで、明日また彼と離れる。
やりきれない閉塞感。一体、自分はどうしたいのだろう。
英里は、夏用の薄手の掛け布団の下で、ぎゅっと両手を強く握った。
彼女の中で、何かが弾けた。
「あの…圭輔さん…」
圭輔と顔を合わせないまま、英里は小声で、また彼の名を呼んだ。
「どうしたんだよ。…眠れない?」
圭輔は閉じたままだった目蓋を開けて、尋ねた。本当は彼自身が眠れないのだった。眠ったふりをしながら、思索を巡らせていた。
このままで、英里と別れたくはない。
だが、彼女の周りに見えない障壁のようなものがあり、その突破口を1週間経った今でも結局見出せずにいた。それが、悔しくてもどかしい。
「……キス、してもいい、ですか?」
たどたどしく、そう告げた英里の後ろ姿を、思わず圭輔は見つめた。
流れるような長い黒髪で隠されたその背中から、彼女の感情は読み取れなかった。
どう答えたものか、考えあぐねたが、しかし、行為自体の要求を拒む理由は一切なかった。
「あぁ」
だから、彼はただ短く、そう答えた。
英里はまだ背を向けたまま、ほっと、圭輔に気付かれないよう微かに吐息を漏らした。
急にこんな事を言い出して、拒まれたらどうしようかと、彼が返答するまでの数秒間がとてつもなく長く感じられたのだった。
英里は身を起こして、圭輔の方を振り向いた。
「…ありがとうございます」
別に、恋人同士なのだから、許可も感謝もいらないのにな、と圭輔は少し苦笑を漏らすが、次に英里が取った行動に、些か驚かされた。
彼女は未だにこういった触れ合いを恥ずかしがるきらいがあるので、てっきり横になったまま軽く口付ける程度だと思っていた。
しかし、彼女は今、膝立ちになって彼の体に跨っており、上から顔を見つめていた。
切なげに顔を歪めて、瞳から逼迫したような様子が見て取れた。
英里は、圭輔の唇の輪郭を指先でなぞると、ゆっくりと顔を近付けて、啄ばむように口付けた。
圭輔は、英里の表情に気を取られて、目を開いたままその瞬間を迎えたが、彼女の柔らかい唇の感触を実感するにつれて、そっと目を伏せた。
口付けを交わしたのは、2人で旅行に行った日の晩以来だった。
唇を重ねただけの幼いキスを終えると、英里は圭輔の胸に顔を埋めた。
(あったかいな…)
唇が触れた瞬間、英里は性的な興奮というよりも、春の長閑な暖かさのような安らぎを感じた。
心の奥の永久凍土を少しずつ溶かしてくれる、優しい日差しが差し込んだかのようだった。
今も、彼の緩やかな心音に耳を傾けていると、心地良さが全身を包んでいた。
しかし、氷が溶け始めた心の土壌からは、徐々に新たな欲望が芽生えてくる。
英里は伏せていた顔を上げると、圭輔の顔を見つめた。彼も、静かに、英里の顔を見つめていた。
「圭輔さんを、もっと、感じたい……いい、ですか…?」
返事を待たないまま、英里は上体を起こし、圭輔の腹部にそっと片手を付くと、もう片方の手で服越しに自らの胸を揉みしだき始めた。優しく、柔らかく、ゆっくりと。
「んっ…」
か細い吐息を漏らし、淡い快楽を享受する英里の恍惚とした表情に、圭輔は息を呑んだ。あまりにも思いがけない行動だった。
自分の胸を愛撫しながら、英里は圭輔の首筋に、そっと口付けた。吐息が掛かると、圭輔の胸はどくんと大きく高鳴った。
彼が寝間着代わりに着ていたTシャツを捲り上げ、今度は鎖骨のあたりに唇を寄せた。
英里の髪が、微かに彼の鼻先を掠めると、当たり前だが、同じシャンプーの香りが仄かに香った。
―――敢えて、圭輔は何も抵抗しなかった。
英里が何らかのシグナルを発している、その正体が何なのか明確になるまでは彼女の好きなようにさせてみようと思ったのだった。
俎上の鯉さながら、黙って彼女の遠慮がちな愛撫に、身を委ねていた。


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