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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第6話-26

「でも…」
「お願いだから、俺の目の届くところに居て」
まだ何か否定の言葉を口にしようとする英里の言葉を、そう遮った。
それ以上英里は何も言えず、ただ黙って頷くと、圭輔は満足げに微笑んでみせた。決して自分の胸中を見透かされないように。
(相手のご機嫌窺いしてるのは、英里だけじゃないな…)
小心な自分自身もまた然り、だ。
少し手を伸ばせば、その華奢な肩にはすぐに届く。体は近いのに、心は遠い。近付いては離れる、2人の距離。一番近くに行けるまで、あとどの位掛かるのだろう。
圭輔は、英里に気付かれないように力なく微笑んだ。


それから、2人は狭い部屋で思い思いに過ごしていた。
圭輔は胡坐をかいてパソコンと向き合い、夏休み明けの課題テストの問題作りを、英里は特にやる事もなく、極力邪魔にならないよう、小音でテレビのバラエティー番組を見ていた。
ちらりと、英里は圭輔の後姿を見つめた。横顔が視界の端に映る。
彼は、フレームのない薄い眼鏡を掛けている。近視もそんなに酷くないらしく、眼鏡やコンタクトがなくても日常生活には大して支障はないそうだ。以前、彼が確かそう言っていた。
先程のすれ違った会話が、今も彼女の心に引っ掛かっていた。
今日は、ここに泊まらせてもらうとして、明日からもここにいるのだろうか。両親が旅行で不在など口からでまかせなのに、いつまでここにいる事になるのだろう。
まるで同棲のようで、何だか気が進まなかったのだ。付き合っている相手がいる事すら告げていない両親には少し後ろめたい。
…いや、自分の事など気にしてくれているはずがない。どこで何をしていようが、きっと。
テレビ番組からは、出演者の楽しげな笑い声が聞こえてくるが、到底そんな気分にはなれない英里の耳には届かない。
それよりも、圭輔が微かに漏らす息遣いや、キーボードを叩く音の方が、はっきりと聞き取れた。彼の広い背中を見ると、何もかも忘れて抱きついてしまいたくなる。
自分から、彼を遠ざけたのに。
(ずっと、一緒に、か…)
最近よく、彼の口からこの言葉が出てきている気がする。
単に、比喩的にこの言葉を使っているのだろうか。それとも、本当に…?わからない。
圭輔から視線を外すと、英里は自分の膝をぎゅっと抱え込んだ。


英里が圭輔の家に同居し始めて、早3日が経った。
圭輔は当然帰れとは言わなかったし、英里も帰るとは言わなかった。言い出すタイミングが掴めなかった。
表面上は普段のように接しているつもりでも、ふと無言の時が訪れると、胸の奥の蟠りは互いに隠せなかった。見つめ合う瞳が揺らぐ。そして、気まずくなり、どちらともなく視線を外す。その繰り返し。
平日は互いにあまり顔を合わせないので、そんな状態のまま4日、5日、6日と一気に時は過ぎ、それが当たり前のようになってしまった。
そして、7日目の金曜日。
朝、圭輔は週末に入る前に片付けてしまいたい仕事があるから今夜は遅くなると言っていた。
大学から真っ直ぐ帰宅した英里は何をするでもなく、彼の帰りを待っていた。静かな部屋に1人でいると、無性に淋しさが募るため、いつものように大して見たくもないテレビ番組をつけっぱなしにしたままだった。内容には全く興味が湧かなかった。何か音がないと果てしない思考の波にさらわれてしまいそうだった。
相変わらず、圭輔はいつものように優しく、いつものように微笑む。ただ、英里に決して触れようとはしなかった。口付けや抱擁は勿論、それ以上の事や、恋人らしい振る舞いは一切せず、ただの同居人として扱っているようだった。
別に、そういった何かを期待していたわけではない。もし、両親が海外旅行に行っている間、保護者的な立場として自分を預かっているつもりだとしたら、たとえ子ども扱いされていたとしても一向に構わなかった。むしろ、そういう彼の実直さが好ましく感じられた。
ただ、ほんの少しの間でも一緒に暮らしてみて、彼に幻滅されるような振る舞いを自分がしてしまったのではないか、英里はその事が不安だった。
この一週間、自分は何も出来なかった。
お世話になる分は自分も役に立ちたいと思って、何か手伝いを申し出ても、大抵の場合やんわりと断られてしまう。実際、家事に不慣れな自分よりは彼がやった方が何倍も早いのだから、それ以上追い縋れない。
圭輔は、本当に隙がない。何でもそつなくこなす。一週間傍で見ていて、そう思った。
反面、ぼんやりと見ているだけしか出来ない自分。これでは呆れられても仕方がない。
もう、彼女の中ではあの結婚という言葉は、彼の単なる寝言だろうという結論に至っていた。あれ以来一度もそれらしい発言はなかったし、万が一本気だったとしても、だ。
(私が男なら、こんな要領の悪い妻なんていらないな…)
いつも自分の事で手一杯で、気が利かない。数日一緒に過ごして、彼は自分の事をどう思っただろう。そんな事を考えると、英里は肩を落とした。
(…明日、帰ろう)
彼の家から出るだけでなく、本当に、自宅に帰ろうと心に決めた。
離婚して親同士は他人になったとしても、自分にとって血の繋がった父は父のまま、母は母のままだ。何も変わらない。何も変わらないのだ。
圭輔の部屋は未だにクーラーがなく、蒸し暑いため、ここにいる間はずっと髪を1つに束ねていた。黒髪の房をそっと手に取る。
いつからかはもうはっきりと覚えていないが、たぶん小学生の頃だろう。学校の行事がある度に1人きりの自分は、家族が来てくれる同級生を羨んで、自分の髪に願掛けをしていた。願いが叶うまで長い髪のままでいようと思ったのだが、もう意味がない。
(そろそろ髪、ばっさり切ろうかな…)
英里は髪から手を離すと、静かに瞳を閉じた。
暗鬱な面持ちで床に蹲っていると、しばらくして、鍵が開く音がした。
圭輔が帰ってきたようで、英里はぱっと顔を上げる。


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