『秘館物語』第2話「訪問者」-15
(もう、たまらん)
まだ日は落ちていない。しかし、彼女の身体を求める思いは、兵太の中で大きく膨らんでいた。
何が契機でそうなったかと言えば、やはり浩志の描いた“花の絵”なのだろう。それを思えば、他人の精神に影響を与える才能が、浩志にはあるということだ。
それはともかく、兵太は双海を求めた。
「双海…」
「あっ……兵太、さん……」
彼女の身体を優しく、ベッドの上に横たえた。それに抗う様子もなく、顔を朱に染めたまま双海はベッドの上で無防備な姿を晒していた。
…明らかに、こうなることを待っていた様子でもあった。
「約束、な。きっちり守るから」
「はい…」
フリーライターである自分が、依頼を受けた取材などで日本各地を飛び回る間、彼女はひとりで過ごさなければならない。長いものになると、数ヶ月を数えるときもある。
そして今回は、“最長”と言っても良い、なんと半年もの間を彼女の側から留守にしてしまった。
いつものように何も言わなかったが、半年の留守を告げた時、双海は明らかに寂しさをその雰囲気に混ぜ込んでいた。出発までの1週間、何かあるとは不意にふさぎこんでしまう彼女を見ると、兵太は申し訳がなかった。
『帰ってきたら、双海の言うこと、なんでも聞いたるよって…』
その仕事とは、日本全国にある“富士”を巡る写真家との同行取材である。日本の風景にとって欠かすことの出来ない“富士”という名の山岳の“美”を通して、自然が持っているそのままの美しさを掘り起こしていこうと言う企画であった。
北から順に南下して、“富士”と呼ばれている山の風景を、写真と文章によって紙上に顕在化してゆくのである。日本全国を巡るというのであるから、時間もかかる。
『それじゃあ……』
双海はほとんど兵太に物をねだらない。しかし、この時ばかりは、彼女が一番望むものをお願いした。
『新しい家族が、欲しいです。それまでずっと、私の傍にいてください…』
と…。
「双海……好きや……」
…そのためにすべきことを、兵太は今、双海に捧げている。
「私も……好き……」
愛を紡ぎあった唇が、どちらからともなく重なった。繋がった想いをそのまま流し込むように、深く、深く…。
「んっ……んんっ……」
双海の息遣いが、甘く鳴る。唇の上で踊る柔らかさに愛しさを募らせながら、兵太は愛する人に、ひたすら唇で想いを伝えつづけた。
「ん……ちゅ……んっ……」
唇だけでは、どうにも足りない。互いに舌を絡めあい、濃厚な口づけに酔いしれる。
口内を行き来しながら、その度ごとに呼吸を分け合って、二人はその情熱を静かに確かに昂ぶらせていった。
「双海……双海……」
呼吸の合間に名前を何度も呼んで、その後で再び唇を塞ぎ、存在を深く確かめる。このぬくもりを半年という長い間、手元から離していたのだ。われながら、よく我慢できたものだと思う。
「もう、ひとりにせえへんから……」
「はい……」
取材同行が終了して、細々とした仕事に整理をつけてから、兵太は長期の休暇を取ることにした。もちろん、双海の願いを叶えるためだ。そのために先立つものは、充分に用意できている。
「家族が“出来る”まで、ずっと側におるからな……」
「うれしい……」
口づけの合間に交わされる睦言。これまでは双海の優しさに随分と甘えてしまったが、今度は彼女の甘えを目いっぱい聞くつもりだ。
この館にやってきたのも、双海の願いだった。望や碧とも、久しぶりに逢いたくなったらしい。何度か訪れるうちに、二人と双海はすっかり打ち解けていたようだ。
人見知りをする双海が、こうまで心を許した相手は数少ない。それならば、と休暇に入るや真っ先にこの館を二人で訪れたというわけである。