『SWING UP!!』第10話-11
「中定、3人前、お待たせしましたぁ!」
務の景気のよい声と共に、テーブルの上に三人分のそれが並ぶ。桜子は今、部屋で横になっている由梨の様子を見ているから、この場にいなかった。
「正直に言うと、“中華定食”はまだ不慣れなので、味は安定してません!」
「いや務兄さん、そんなこと言ってていいの?」
「嘘は言えん。そこも含んで、感想を聞かせて欲しいのだ、弟よ」
言っていることは相変わらず大仰だが、表情はいたって真面目だった。
定休日にも関わらず、彼が厨房にいる理由は、“蓬莱亭”のメニューをひととおり賄うために、練習を重ねているからだ。
今、“蓬莱亭”は、週の定休日を二回設けている。由梨が厨房に立っているときより、一日増えたそれは、務がメニューを覚えるための準備期間を兼ねてのことだ。そして、その定休日には、決まって誰かを“蓬莱亭”に呼び、務の作るメニューの審査相手になってもらっている。
主にそれは大和の役割だったのだが、今日はせっかくだから、航と結花にも来てもらったというわけだ。
ちなみに務が、“蓬莱亭”に臨時の料理人として雇われたのは、由梨の懐妊がわかって1週間ほどしてからだったから、実際に厨房に立つようになってからの期間は、まだ短い。務が勤めている大衆料理店の店長は、“蓬莱亭”の先の店主と修行時代を共にして切磋琢磨してきた盟友だったらしく、その愛娘である由梨の妊娠と、それに伴う“蓬莱亭”の難事を聞きつけるや、務の派遣を申し出てきたのだ。
店を一時、閉めることも考えていた龍介だったが、その申し出をありがたく受けることにした。いくら評判のよい“蓬莱亭”とはいえ、厨房の火を一度落として、客足が遠のいてしまえば、その後の見通しは辛いものになる。
見習いの時期も含めて、和洋中を問わず数多の店舗で腕を奮ってきた務ではあるが、“蓬莱亭”の全てのメニューを賄いきるには当然時間が足りず、今のところ非常に限定的なメニューになっているのも事実だった。
なお、結花と航が軟式野球部に入部した際、その歓迎会は“蓬莱亭”で行われたが、その時はまだ、務はその場にいなかった。歓迎会のときは、龍介が厨房に立って、まかない料理で縁深いメンバーたちにもてなしをしていたのだ。…これは、余談である。
「みんな、おおきに」
ややあって、その龍介が奥から姿を表した。
「すまんな、なかなか相手も出来んで」
「いえ。由梨さんの調子はどうです?」
「ぼちぼち、といったところやな」
この場にあって、“蓬莱亭”の現在の事情に一番詳しいのは、大和である。航と結花は、目の前に並んだ“中華定食”に箸を伸ばしながら、二人の会話を黙って聞いていた。
「つわりが落ち着けば、もう大丈夫なんやが…。今は少し、きつい時期らしゅうてな」
言うや龍介は、厨房に入っていく。由梨のために、なにか賄いを用意しようと言うのだろう。
「航君も、結花ちゃんも、遠慮せんと色々と頼んでや。務はんには、少しでもはよう、ウチのメニューを覚えてもらわなあかんしな」
「大将のいうとおり。航、遠慮するなよ。次は、“満貫全席”なんてどうだ」
「そんな凄いの、メニューにないよ! ってか、そんなに食べられないよ!」
「ははは、仲のええ兄弟やのう」
歓迎会のときに顔をあわせているので、龍介にとって、航と結花は、既に身内にも似た、親しみを与える相手になっていた。特に航は、今、“蓬莱亭”の厨房を任せている務の弟でもあるから、その想いはひとしおであろう。