再会-2
母親が俺を捨てたのは、俺が高校三年の冬のことだった。
大学の二次試験を終えて帰宅すると、家がもぬけの殻になっていた。
俺が三年間バイトして貯めた200万ほどの金も、通帳ごとなくなっていた。
大学の入学金と、初年度の学費にあてるつもりの金だった。
最近頻繁に「母の客」として通っていた、若い男の顔がすぐに頭に浮かんだ。
がらんとした家の中に、たった一つだけぽつんと残された俺の勉強机。
その上に、使い古しの茶封筒が無造作に置かれてあり、中にシワシワの一万円札が三枚だけ入っていた。
「……んだよ……これ……」
思わずそう呟いた途端、俺は猛烈な喪失感に襲われ、その場にがっくりと膝をついた。
震える指先で汚れた茶封筒をぎゅっと握り潰し、なすすべもなく天井を見上げる。
今自分に起きていることが信じられないような気もしたし、心のどこかでは、いつかこうなることがわかっていたような気もした。
奇妙なことに、涙は一滴も出なかった。
ただただ空虚な怒りで、身体の震えが止まらなかった。
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両親と全ての金を失った俺は、大学進学を諦め、仕事を探すことにした。
担任からは、生活保護をうけながら奨学金で大学に通うことを勧められたが、俺は他人に金を恵んでもらいながら生きていくのがどうしても嫌だった。
親などいなくても、自分の力だけで生き抜いてやった───その自身と実感が、俺は欲しかったのだ。
これまで俺は誰からも助けてもらわずに生きてきたし、これからだって誰にも助けてもらうつもりなどない。
そう思っていた。
後から考えれば、つまらない意地を張ったと思う。
だがその時の俺は、そうしなければ最後の僅かなプライドを失って潰れてしまいそうだったのだ。
出来るだけ家賃の安いアパートと、ある程度の収入が得られる仕事。
この二つが、俺にとって一番必要なものになった。
担任の教師が、ハローワークと福祉事務所を何度かあたって、住み込みですぐにでも働けるという仕事をなんとか見つけてきてくれた。
それは、「リメイクミシン」という名前の洋服リフォーム業者だった。
ミシンなんて使ったことがなかったし、服のリフォームというのも今まで興味すら持ったことがなかったが、不安や抵抗感を抱いている場合ではなかった。
とりあえず住むところと収入があるだけでも有難い。
俺は一も二もなく就職を決めた。
卒業するまでは見習い期間としてアルバイト扱い、卒業と同時に本採用ということになった。
「リメイクミシン」は社長を含めて12人の小さな会社で、従業員の半分はいかにも職人風の年配の縫い子だったが、意外なことに残りの半分は俺と同じような若い男だった。
地方から出てきてミュージシャンを目指しているヤツや、前の会社を一年でやめて、再就職で入ってきているというヤツもいた。
陽気な奴は一人もおらず、若い女もいなかっため、職場はいつも暗く陰気なムードが漂っていた。
俺は他の数名の社員と同じように、その工場の二階の寮に部屋を借りることになった。
風呂はなく、トイレとキッチンは共同。
六畳一間の薄汚れた小さな部屋だったが、腐った思い出しかないあの家を出て、俺はせいせいしていた。
仕事は想像していたほど難しくはなかった。
リフォームといっても着古した服を作り直すわけではない。
客が服屋で新品の服を買うときに、丈や身幅など部分的に身体に合わない箇所を「直し」に出す場合がある。
特に単価の高いブランドものや紳士のスーツなどは、自分が納得する形に作り直すことが多いものだ。
契約しているデパートやショップを周ってそういった商品を回収し、それを工場でリフォームして再び配達する。
それが俺たちの仕事だった。
契約店舗から回収された商品は、その技術内容によってそれぞれの担当者に振り分けられる。
経験の浅い新人は、デニムの丈つめみたいな簡単なものしかさせてもらえないが、技術があがれば「かけはぎ」のような単価の高い複雑な直しを任されるようになる。
母親に奪われたぶんの金をとにかく早く取り返したいという気持ちから、俺は貪欲にミシンを踏み、寝る間も惜しんで独学でアパレルの基礎を勉強した。
もともと手先が器用だった俺は、みるみるうちに技術を覚え、かなり複雑な直しもこなせるようになっていった。
それまでは世話を焼いたり面倒をみてくれていた先輩社員たちが、次第に俺を煙たがるようになったのはそのころからだった。