小鳥の里-9
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屋敷を出るときくらいは正面玄関から、と長い廊下やいくつも続く座敷を延々と歩くうちに日は沈み、あたりは暗くなりつつあった。
夜目のきく彼女に灯りは必要ない。暗闇の夜空を飛ぶのも平気だったが、あまり帰りが遅くなるのもよくないだろうとハヅルは足を速めた。
だだっ広い玄関先に座り込んで、膝丈のブーツを履くのに四苦八苦していると、戸のすぐ向こう側にバサバサと羽ばたき音がした。
誰か来たのかと顔を上げたタイミングで、外から引き戸が開かれる。
「まあハヅル様。お久しぶりですこと」
「ミズナギ」
出くわしたのは、アハトの看病についているはずの、ケイイルの傍系の女だった。
「アハト様のお見舞いに来てくださったのですか?」
にこにこと、ミズナギは満面の笑みを浮かべた。
ハヅルたちが五つのときにはすでに成人していたから、少なく見積もっても二十八歳にはなっているはずだが、二十歳そこそこで十分に通用する見かけをしている。
品が良く、整った顔立ちの美女なのだが、性格からにじみでる穏やかで優しい空気の方が印象深い。
そのためか彼女の場合、人間態よりも鳥態の美しさに定評があった。
ミズナギの鳥態は、素晴らしい鮮やかな赤褐色に黄褐色の斑紋がくっきりと浮かぶ羽根を持つ、それは美しいツミなのだ。
「アハト様はずいぶんお喜びになったでしょうね」
「全っ然、喜ばれた気はしないけどな」
むしろハヅルを前に不機嫌を隠そうともしないなど、珍しいことだった。
「きっと本心では喜んでいらっしゃいますよ」
そう言って、ミズナギは苦笑した。
「一人であいつの面倒見るの、大変じゃないか? うちから何人か寄越そうか」
「ご配慮はありがたいですけれど、ヒヨと交代でついていますし、私の家の者たちもおりますから、ご心配は無用ですよ」
ヒヨというのは、ミズナギと同じくケイイルの傍系の娘だ。ハヅルたちより少し年上で、よく気のつく姉のような存在だった。
「そうか……じゃあ、平気か」
「シアのお屋敷の方では、アハト様もお気遣いされるでしょうし」
「あいつもそう言っていた」
遠慮などしなくてもいいのにとハヅルは思う。彼は次期頭領なのだ。
「……じゃあ私は王都に戻る。アハトを頼むな、ミズナギ」
そう言って身を翻そうとした彼女に、ミズナギは大きく目を見開いた。
「まあ、もうお帰りになるのですか?」
「? ああ」
アイサの暴言に逆上して来ただけなのだ。放っておけと本人にたしなめられ、世話の手も足りているとなればすることはない。
「まあそんな、もう少しごゆっくり……そうだわ」
ミズナギはやけにおろおろと慌てたのち、ぽん、と何か閃いたように手を打ち合わせた。
「実は私、アハト様のご夕食の後、少し用事があるのです。それで……」
「そうか。じゃあヒヨを呼べばいい」
彼女の言わんとすることに気づかず、ハヅルはあっさりそう言った。ミズナギはなぜか笑みを凍りつかせた。
「いいえ、今夜はヒヨも用事があっていられないのです。ハヅル様、もしお急ぎでなければ、私が戻るまでお屋敷にいらしていただけませんか?」
「どうして私が」
「ど、どうしてと言われますと……その、短時間とはいえアハト様をお一人にするのは心配ですし」
「うちの者を誰か寄越そう。大丈夫だ、アハトもよく知っているのが何人もいるから」
「いいえ、いけません! ハヅル様でなければ!」
突然、にぎり拳つきで力説されて、今度はハヅルが目を瞠った。
ミズナギは、無言になったハヅルにハッと我に返った。小さく咳払いをしてから、口調を穏やかなものに戻す。
「ああ見えても、アハト様は繊細な方でしょう? 特にご病気でお心も弱っておいでですし、本当に心底気の置けない方でなければ、おそばにいてもきっとご負担だと思うのです」
「繊細……」
本人も自称していたが、そう言葉にされると、アハトには何ともそぐわない気がした。
確かに人の好き嫌いははっきりしているし、神経質なところはあるが、では繊細かと言われると……
「……そんなにいいものか?」
思わず口にしてしまった心の声を、ミズナギは聞こえなかったかのように振る舞った。
「そういうわけですから、ハヅル様。アハト様の一番気の置けないご朋友のあなた様がおそばにいてあげてくださいませ。私が戻るまで、ほんの数時間でけっこうですので」
「ええと……」
釈然としなくて首をかしげたハヅルを、ミズナギはにっこりと笑って威圧し、それ以上何も言わせなかった。