今宵の君は一人だけ-1
「オレ…オレな…」
「ええよ…無理せんで…うち分かってるんよ…シンちゃんがもうじき結婚すんの…だから…うち…シンちゃんと別れたいんよ…」
シンちゃんこと春山伸汰(はるやましんた)と御津影初雪(みつかげはつき)は、付き合っていた…けれどそれは夜にだけとゆう期限つきでの付き合いであった。
「…初雪」
「うちなら大丈夫☆へへっ…もう心の準備はしてたから…だから行って☆もううちのこと…思い出したらあかんよ…じゃあね」
初雪はそう言うと神社にある石段を駆け降りていった。初雪の柔らかなワンピースの裾が金魚のようで…まるで祭のときの金魚スクイで捕まえた金魚が紙を破って逃げていく様を思い出させた
伸汰は心臓が締め付けられそうで、いつしか必死に初雪を追い掛けていた。どうせ追い掛けても実ることなどないのに…それでも…それでも伸汰は追い掛けずにはいられず必死に必死に初雪を追い掛けた。ギュッ!!
「!!」初雪の腕に汗で湿った手が触れた。初雪がびっくりして振り向くと… 柔らかくて暖かい…唇が初雪の唇を塞いだ。
初雪がびっくりして固まっていると、まだ少し息が上がっている伸汰がゆっくりと唇を離した。
そして初雪と目が合うと…「オレは…初雪が好きだ…初雪じゃないと駄目なんだ…」
そういって優しく初雪を包み込んだ
「…ありがとぅ。…でも…結婚するんでしょ?…しなくちゃだめなんでしょ?……うちのせいでシンちゃんの人生狂わしたくないんよ☆…だからうちは身を引くことにしたんよぉ〜☆…だから…だから…シンちゃんの言葉はほんまにほんまに嬉しかったんやけど…ゴメンネ」
初雪はそう言うと伸汰から離れて行った…
(シンちゃんはお坊ちゃまやねんもん…うちみたいな庶民な子が…付き合うなんて…無理やったんやもんね…しゃ〜ないよね…)初雪は心の中でそうつぶやくとまた走り出した。 そして小さな声で「今度はこんな想いせんでいいような仲で出会いたいよ…」と言った。初雪の視界は徐々に滲んでいきポロポロと、とめどなく涙の玉が流れて行った。
そして十二年後
初雪は三十になった。初雪はOLとして普通に平凡な日々を送っていた。
「初雪さん♪帰りですか?オレ…送っちゃいますよ〜?一緒に帰りませんか?」ニィッと八重歯を見せながら笑うこの男のコ…もとい…彼は、二年前初雪のいる会社に転勤になったのだが、いつからか彼…河瀬多久(かわせたく)は初雪に好意を持ちだし、初雪が帰る時間まで待って一緒に帰ったり昼食の時に隣に来て初雪の弁当を盗み食いする始末。しかし初雪の年下のせいか…それとも彼の見せる悪戯っぽい笑顔のせいか怒るきにもなれず今にまで至っているのである。
(ハァ〜…うちも甘いなぁ〜…。それにしても…なんでこの子ってこんなにもかわいいねんやろぉ〜?なんか母性本能をくすぐられるっちゅうか…姉にでもなった気分っちゅ〜か……やっぱ、うちと十も歳が離れてるからやろね〜…ハァ〜)
初雪の溜め息に敏感に反応した多久は、いきなり初雪の前に回り込み悲しそうに尋ねた
「初雪さん…オレ…迷惑?迷惑やったらもう一緒に帰ってなんて言わへんから!!オレのこと嫌いにだけはならんといて!!オレ…初雪さんに嫌われたら…オレ…」
多久は捨て犬のような顔で目には涙を溜めながらしかし、必死に涙を流すまいと我慢していた
そんなすがたに初雪はまた母性本能をくすぐられ「うっ…あぁ…えっと…。…別に迷惑ではないよ。それより慕ってくれてんのがうちは嬉しいし☆だから嫌いになるなんてことはないよ☆」初雪は優しく微笑んでみせた。それに安心した多久はホッと胸をナデオロシタ。
しかし急に真剣な表情に切り替わると
「初雪さん!!…オレ…初めて会った時から好きでした!!オレと付き合ってもらえませんか?」
多久の気持ちは社内のみんな分かっていた。もちろん初雪自身も分かっていたのですが…多久にきちんと言われたのは初めてで、初雪はとまどった
「…あっ…えっと…えっと…でも…あの…えっと〜…うっ…うちと河瀬君は十も歳が違うんよ?…しかもうちもうおばさんやし…」
「ヘヘッ☆初雪さん知らないんすか?初雪さん社内じゃすっごい人気なんすよ?綺麗だし優しいし落ち着いてるし…しかも年なんてオレぜ〜んぜん気になんてしないっすし☆初雪さんみたいな三十なら全然いいです♪オレ初雪さん愛してますもん☆ニィッ」多久は満面の笑顔で初雪を見た。初雪は一瞬ドキッとしたが…一呼吸すると、
「…河瀬君…ゴメンネ…うち好きな人がいるんよ」初雪は泣きそうな笑顔で言った