暖かな氷の世界 * 流血表現があります-7
書庫が壊された時、しばらく意識が途絶え、気づけば僕は、月光の精霊たちに迎え入れられていた。
月光が降り注ぐ場所であれば、どこでもいけるようになったけれど、書庫の呪縛が解けたのと引き換えに、僕はなぜあそこに居たのかまで……何もかも忘れてしまった。
気ままに世界中を飛び回り、フロッケンベルクの王子が面白い事をやりそうだと聞いて、この地へ戻ったのは、十数年ぶりだった。
好奇心旺盛な月光の精霊たちは、窓にへばりついて、王子と王妃の対決を眺めていた。
僕もその中の一人。
正直に言えば、王子を一目見てぞっとした。
底知れぬ暗さで凍てついた双眸は、外見が整っているだけに、一層不気味だった。
ここまで内部が荒廃しきった人間は、久しぶりに見た。
僕に顔が似ているのも、不愉快だった。
先に着いていた精霊から話を聞き、すぐさま『こいつは狂ってる』と思った。
こんな賭けに勝ち目はない……そもそも、賭けにすらならない。
王子が飲んだのは、氷の魔物の中でも、最もたちが悪いモノを呼び寄せる薬。
百分の一は、その魔物が気まぐれを起こす確率だ。
けれど精霊達が知る限り、そんな奇跡が起こったケースは一度もない。
思った通り、奇跡なんて起こらず、白い大蛇に似た魔物は王子に絡みついた。
いくつもに枝分かれした鎌首をもたげ、体中に容赦なく鋭い牙を突き立てる。
普通の蛇と違い、その口中にはビッシリと鋭い歯が並んでいた。
噴き出す鮮血が一瞬で凍りつき、王妃の蒼白な顔へ赤い氷片が散る。
シャリシャリと、魔物が凍った血肉を貪る音が部屋中に響く。
酷く気分の悪い光景だった。
見るのが耐えられず、さっさと陽気な南国にでも行こうとした時だ。
『ああ……そこに……いたんですね……』
鮮血の氷にまみれた瀕死の王子が、不意に窓を見上げて呟いた。
魔法も使わず、人間が精霊を見るなんてできないし、視力なんて、とっくになくなっているはずだ。
それでも虚ろな紺碧の瞳は、確かに僕を捕らえていた。
『……あ』
ゾクリと、体中を不快な何かが駆け巡った。
『……ただいま』
穏やかな……幸せそうにさえ聞こえる声で、王子が呟いた。
『君は……約束……守ってくれ……た……』
『約束……?』
『死の間際で、幻覚を見ているだけだよ。もう行こう。つまらないよ』
不穏な気配を察知した仲間から促されても、動けなかった。
『……僕の……帰る場所……』
血のこびりついた唇に、かすかな笑みが浮かんでいた。
( まだ……そんな顔で笑えるんだね…… )
『―――!!!!』
夢中で窓をすり抜け、【僕の生まれた意味】に飛びついた。
体中を巡っていた不快さの正体が、やっとわかった。
―――罪悪感、だった。
彼がどんな思いで僕を作ったか、世界中で僕だけが知っていたのに!!