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おぼろげに輝く
【大人 恋愛小説】

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15-2

「曽根、ちゃん」
「......塁」
 瞬間的に時間が止まったように思えた。何も聞こえなくなった。呼吸さえしていなかったかもしれない。こんな風に真顔で見つめ合ったのは、付き合い始めて初めてかもしれない。
「こう? 分かる? お母さんと太田君だよ?」
 俺は慌てて彼女の右手を離し、ナースコールを押した。お母さんは必死で曽根ちゃんに話しかけている。その声は聞こえるが内容が理解できない。俺の頭の中はパニック状態だった。
 曽根ちゃんがこちらを向いて「塁? 塁?」と呼ぶ声が聞こえてやっと、俺は正気に戻る事ができた。が「ふぇ?」とあらぬ声が出てしまった。
 直後に駆けつけた医師が、曽根ちゃんに声を掛けたり機械の数値を確認したりと忙しそうにしているのを、椅子に座ってぼーっと眺めた。

 戻ってきた。曽根ちゃんが向こうからこっちに、戻ってきた。眠りの森から気怠気な女が、踵を擦りながら歩いてご帰還なさった。
 泣いていいのか笑っていいのか分からなくて俺は顔を覆う。お母さんはベッドに突っ伏して、完全に泣いていた。
 俺は泣かない。だって、こっちに戻ってくるのは分かっていた事だから。信じていた通りになった。ただそれだけだ。彼女は長い昼寝から目覚めたようなものなのだから。目に光を宿す事は、約束されていた事なのだから。
 顔を覆っていた手の平には、俺の目から出た何かが午後の日差しを受けてきらりと光っているが、断じて涙ではない。

 医師と看護師が部屋を出て行くと、お母さんは「お父さんに電話してくる」と言って部屋を出て行った。俺は曽根ちゃんと二人になった。
「私、生きてたんだね」
 喜びも悲しみも現れないその語り口は、間違いなく曽根ちゃんの物だ。俺は嬉しくて、曽根ちゃんに沢山喋ってもらいたくて、でもこういう時は、ゆっくりさせてあげた方が良いのかも知れなくて、頭の中でせめぎ合いが続く。
「刺されたのは覚えてんの?」
「うん」
 曽根ちゃんは目線を右の脇腹にやった。痛み止めの点滴はされているのだろうか。それでも痛みはあるだろうか。
「刺されて暫く意識があったけど、電話する力はなかった。私ここまでどうやって来たの?」
「救急車に決まってんじゃん」
 曽根ちゃんは少し怪訝な顔をして「もしかして塁が呼んだとか?」と言う。
「もしかしなくても俺だ。神様がつけた胸騒ぎとかいう機能が発動してな。曽根ちゃんの家まで行ったら、裸の曽根ちゃんが脇腹からナイフ生やしてた。どんなガーデニングかと思ったぞ」
 眩しそうに顔を伏せて短く笑う曽根ちゃんが、「笑う」という仕草を眠りの森に置いて来なくて良かったと心から思う。やっぱり笑って欲しいんだ。俺は贅沢物だ。目覚めてくれただけでも嬉しいのに、時折見せてくれていたキラキラした笑みを、俺に向けて欲しいんだ。そう考えると、今の控えめな笑みだってキラキラの笑顔への第一歩だ。
 右腕をじっと見つめ「これ、さっき塁が触ってた」と俺に視線を移す。俺は左の袖をもう一度まくり上げ、お母さんに見せたみたいに曽根ちゃんにも見せた。
「お揃いだ。ちなみに、久野夫妻ともお揃いだぞ。嬉しいかどうか分かんねぇけど」
 顔を伏せて「すんごい嬉しい」と言ったその声は、笑っている。
 彼女の右手を奪うようにぎゅっと掴み、俺は思った事を勢いづかせて口走った。
「曽根ちゃんが消えちゃうんじゃねーかと思ったんだよ。もう俺の前からいなくならないで」
 曽根ちゃんはちょっとびっくりしたような顔をして、その顔は少しずつ朱に染まっていった。
「恋が、愛に変わる瞬間」
 曽根ちゃんのいきなりの会話の変化について行けず、俺は「何?」と声を上げる。
「こういう時、なのかも」
 ツンデレのツン成分は眠りの森に置いてきたのかも知れない。握った手をなかなか離せなくて、お母さんがスライディングでもしそうな勢いで病室に戻ってくるまで、俺は温もりを取り戻した白い手を握っていた。


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