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金魚とアイスクリーム
【純文学 その他小説】

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本文-9

「久し振りに鳥の啼き声で目が覚めた。今日は静かにしているのに最適。窓の外を雨上がりのつめたい風が、つうつうとよく伸びる鳥声を運んで来る。それはこの街を遠く雄れた、浅瀬の潮風を思わせる。
 今年に入ってから海を見ていない。淡い彩りのゆらめく波や、波飛沫が妙に恋しくなる。わたしは窓から身を乗り出して大きく伸びをした。深呼吸。大気が両手を広げてわたしを抱きとめる。
 高校の友達と、最後の卒業旅行でいったのも海だった。海岸近くの丘に建てられた民宿に、女の子だけで6人集まって、その夜海へ泳ぎにいった。 夜の水泳。深夜の海は大きく深い穴のようで、打ち寄せる波全体が呼吸するいきものみたいだけれど、潜るととても穏やかだった。吐き出す泡の音、掌の水を掻く音だけの聞こえる海の中は、意外にも完全な暗闇ではない。水中でも、遠くの街灯の燈りによってか、かろうじてモノクロームに瞬く自分の腕を見分けることができる。濃くなめらかな墨を縫って進むわたしの肌に、水当たりはやさしく手の甲を撫でた」

 「車窓を流れる草木を眺める。ガタン、ゴトンと繰り返されるリズムに弾むように、糸にひかれて背後に消えてゆく風景たち。硬質の建造物、コンクリートの白が緑に映える。
 古い電車。濃い緑と濁ったオレンジでツヤツヤに塗りたくられた、補色の配色。ゴッホが精神の頽廃を表すのに使った組み合わせだ。回る扇風機の温い気流をうけながら、ぼくは吊り革に掴まらず立っている。流れゆく風景の重みと、過ぎてゆくこの空虚な時間の重みと。
 通学電車の無意味さは、外界との空気を遮断し内側に引きこもることの虚しさに基づく。窓を開ければ、触れられる光、草の葉、風の音にも気づこうものなのに、昔のように、窓を開けるつまみももうない。
 『次は上栂、上栂です』
 聞き取りにくい車掌の声に反応して、座客の幾人かの手が動く。意味もなく手を組み、あるいは眼鏡を直し、足を組み返し。ぼくはその微かな動作を見逃さずに、座席の前へ爪先を合わせる。
『ご乗車有り難うございました。上栂、上栂です』
 機械的な声を聞くよりも早く、その年配の夫婦は席を立つ。ぼくは外の見える窓側に席を取る。濃いあおの車席。幾年も使い込まれて、乗客の汗が長年しみ込んだだろう客席に背中を埋める。
 『がたん、ごとん……』
 しだいに慣れて、親しみさえ感じられる車内の揺れが眠気を誘う。ふくらはぎから背中にかけての重々しい痛み、蓄積された乳酸の、行き場のない不快感が躰を埋めてゆく」


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