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金魚とアイスクリーム
【純文学 その他小説】

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本文-10

「風。梅雨もあけた夏の暑い日だというのに、急に強い風が吹き抜けていった。今では嘘のように凪いでいるけれど、確かに、風は吹いた。
 部屋にふうりんをかけていたなら、風に煽られて、赤と青の透明な硝子も、ガシャンの一瞬で粉々に崩れてしまっただろう。わたしはふと押人れの奥に眠っているふうりんを思い出す。『秋のふうりん』−昔そんな物語が教科書に出ていた。
 ふうりんの音が大きすぎる、という趣旨の手紙が送触れられてくる。繊細なあおの字で、差出人は分からない。不思議に思いながら男がふうりんを取り込むと、家の裏にあった秋桜子が一斉に咲き始めた、という話。わたしも秋桜子を植えたいのだけど、アパートだから庭がない。鉢植えでは、ほそい茎が風にゆらぐ姿を見られないから、植える気はしない。秋桜子のうすい花弁は陽に透かされてしろく輝くところがいい、わたしはひとりそう頷いて、どこか秋桜子のあるところへ行きたくなる。もちろん、夏はまだこれからだから、次にくる秋のことなんて、考えなくてもいいけど。秋がすきなんだ。四季のなかでいちばん。
 秋の風を迎えに、わたしはふうりんを取りつける。梅雨の日の垂れ込めた空気を乾かしてしまう、そんな風が、いまさっき吹いたので」

 「『お客さん、終点ですよ』
 眠りの奥から呼びかける声がある。駅員だ。ぼくははっとして顔をあげて、辺りを見回す。『西金剛』。
駅は終点、ぼくの降りるはずの駅は遥か後ろだ。
 (しまった!!)
 急いで電車を降りる。時間は……焦りながら時計を探す。──11時25分。だめだ、遅い。のびた腫を地面に下ろす。3限だけの今日なのに、それに遅れて諦めて、一体何をしているんだと暫くの自問自答。家に帰ろうと桟郷線路線図を眺めていると、何だか興味深い駅の名が目に留まる。
 『八汰海』と呼ばれるその駅は、苗唔山と叭繁岳の中間にある『六郷径』駅の隣に位置している。山に挟まれた谷間にはなっているが、そこに海があるようにも見えない。にもかかわらずの『八汰海』。一体どんな海があると言うのか。
 どうせ一度外れた道のりだ。ぼくは家に帰らず『八汰海』で下りることに決めた。改札で切符を買い、上りは『藤亨里』行きに乗りこむ。待ち時間に買った見慣れぬ缶ジュースを開けて、最初の一ロ。冷房の効いていない空席ばかりの車内に、一車両を貸切ったぼくの、小さな旅が始まる」


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