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金魚とアイスクリーム
【純文学 その他小説】

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本文-11

「レジを打っていると、自分がすっかり自動人形になってしまったような気になる。『いらっしゃいませ』から『ありがとうございました』まで、故意に冷たく言い放っている自分がいるのに気づく。わたしは時々そんな自分が、周囲からの冷たい視線に曝されているのを感じる。お客さんだって、愉快ではないだろう。けれどわたしは仕事の完璧さに集中するあまり、客の顔を見る余裕もなくなってしまう。いつかアイスを奢ってくれた人のように、わたしも店員のほころんだ顔を見たいと、つねづね思うのに、そう思ってるわたしが今、誰よりも冷酷な素早さと完璧さで、他人からの介入を拒み続けているのだった。
 矛盾しているかもしれないけれど、わたしにはいつもふたつの気持ちがある。自分を造り上げてゆくような強い唐心と、そんなわたしを壊してしまいたい心。こんなつまらない偽物のわたしを崩したい、それに気づいてくれたあのお客さんのことは(顔は忘れても)決して忘れないだろう。いつか、どこかで買い物をした時に、わたしも言おう。なにも物を言わなくてもいい、一言だけ『ありがとう。バイトくん頑張ってね』 って」

「電車は見込みどおり二時前に『八汰海』についた。駅の回りを見渡しても、人影の見えない田舎駅。ターミナルのロータリーに、ありかちな『叭繁岳観光地図』なるものが、でかでかと掲げられていた。地図のなかに八・汰・海の三文字を探すが、見当たらない。
 そこへ二・三時間に一度しか通らぬようなバスが全く幸運にも停車した。ぼくは車掌に尋ねた。
 『八汰海いうは海じゃねぇて。大雨が降りゃあ谷に水が溜まって、いっとき海みてえに見えやがるから、八汰海いうだけや。でもまあ、これん乗っとくとええ。八汰海っちゅう海はないが、蓑着ノ橋で降りりゃあ、探しとったぁ水溜まりが、よぉく見えるやろう』

 ぼくの顔も見ずに車掌は答えた。初対面の恥ずかしさに、かえってぶっきらぼうになってしまう不器用さ。街ではめったに聞かれることのない涌枝弁が、ゆたりゆたりと波を起こして耳元に広がる。それに合わせて、かなり老け込んで皺くちやになった口元で、吸いすぎて唇に届きそうな煙草がゆらゆら揺れた。
 『た、たばこ』
 くわえたそれをぺっと地面に吐き捨てると、彼は唇を手で拭いながら、地面を擦った。それからゆっくりと伸びをしながら、
『んああぁ〜。さ、仕事にかかるっか』。
 礼なく扉は開き、ぼくは車掌の斜め後ろ最前席に座った。何処からきたのか、他にも乗客がちらほらする。ドアは閉まり、エンジンが始動する。赤く光る『車内禁煙』の四文字など見向きもせず、車掌の口元に真新しい指揮棒が揺れる。バスが動き始める」

「バイトが終わり家に帰るころには7時をまわり、遠い家路を電車で進む。夕方から降りだした雨は、時期はずれの台風の影響だと、ラジオは盛んに繰り返している。このまま進むと上陸の可能性有り、だって。わたしは駅前のコンビニで傘を買った。柄の白い透明な、よくある傘。店員に『ありがとうございます』って、なんだかこっちが店員みたいないつもの挨拶をしてしまった。どうしてだろう、素直な気持ちで『ありがとう』って言えないの。日頃の習慣とは恐ろしいもの。気持ちを持たずに言葉だけひとり歩きしてしまう。こんなの、わたしじゃないのに。
 雨が降ると、植物の枝葉が深い緑を取り戻すようで嬉しい。もっとも、雨のなかを傘をさして歩く人には不便だけれど。ずぶ濡れて躰に張りついたシャツを着て動き回るより、本当なら服なんて全部脱ぎ捨てて、素足で柔らかい地面を踏みしめていたいのに。全身で雨をうけながら走り回ったほうがずっといいのに。土の感触から遠ざかってゆく自分たちがとても寂しい。傘をさしながらも、わたしたちの躰はこんなにも水に飢えているのに」



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