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愛しい体温
【純愛 恋愛小説】

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-1

 それから毎日のように、風間さんとは帰りが一緒になり、少しずつ話をするようになった。
 朝の送りは奥さんだけど、帰りは風間さん。転勤族で、急な転勤で移ってきたこの区で認可園に入る事が出来たのは奇跡だ、と言っていた。秋人君と莉子は同じ学年で、莉子は八月に、秋人君は十月に五歳の誕生日を迎える。
「前の保育園は、親同士の繋がりみたいなものが、結構密で、割とやり辛い面が多かったんですけどね。ここの園はいいですね。今の所、俺、守山さんとしか話してないですからね」
 そう言うと私の顔を覗き込むようにしていだずらそうな顔をして笑う。
「私はいつも朝は一番、帰りは閉園ギリギリで、顔を合わせる親御さんなんてほとんどいないから、私も風間さんとしか話してないですよ」
 お返しのように笑い掛けようとしたのだが、何故かそれがうまくいかなくて、妙に顔が強張ってしまった。少し似ているのだ。元夫と。その引き攣った顔を見られまいと、すぐに前をむく。
「知ってます? ここの商店街、七月から八月までの金曜日の夜に、出店が並ぶんです」
 私がそう言うと、風間さんはおもむろに胸ポケットからメモ帳を取り出し「メモしておきます」と細いペンで何かを書き込んでいた。
「もしかして風間さん、すごく真面目な方ですか?」
 何となく口をついて出てしまった言葉に、すぐに後悔する。真面目な事は悪い事ではないのに。
「真面目に見えます? だといいいんですけど」
 いたずらそうに笑うその顔は、真面目という言葉が似合わなかった。きっと仕事はできる、だけど気張らない人なのだろう。どんな人ともうまくやっていけるような、そんな人なのだろうと、勝手に想像してみる。
 母子家庭になり、私は話し相手を一人、失った。家に帰って、話し相手は娘だけなのだ。夫がいた頃は、夫の愚痴を聞き、私の愚痴も聞いてもらう、そんな関係が成立していたから、ストレスもたまりにくかったように思う。しかし夫と別れる間際、愚痴なんて言える状況ではなかった。
「おうちで莉子ちゃんと二人で、どんな話をするんですか?」
 駅が見えてきた。そろそろ話を切り上げなければと思い、なるべく短く文章をまとめようとする。
「保育園であった事を聞くだけです。それ以外にないですね」
 すぐに地下鉄に下りる階段まで辿り着く。それじゃあと口に出そうとした刹那、風間さんが口を開いた。私はふと足を止める。
「なら、守山さんの話を聞いてくれる人は、家にはいないんですね」
 同情の眼差しでもなければ侮蔑の眼差しでもない。ただただ現状を理解し、私に目を向ける。
「そうですね、いないです」
「じゃぁ商店街を通る間にぜひ、俺に話してください。短い時間でも話し相手になりますよ」
 にっこりと歯を見せて笑う風間さんの顔をみて、あろう事か赤面してしまう自分がいた。
「あ、ありがとうございます。それじゃ、あの、また明日」
 私はしどろもどろになりながら莉子の手を引っ張って、家に向かって歩いた。

 こんな感覚はいつ以来だろう。胸の中がやけに騒がしく、沈めようとしても呼吸は浅くなり、胸の鼓動は跳ね上がる。思わずぎゅっと握りしめた娘の手が反応し「いたい」と声が上がる。
「ごめんね」
 それしか言葉が出ない。
 夫に恋をしたのはいつだっただろう。夫と短い期間を過ごしたマンションが見えてくる頃には少し、胸の騒々しさは消えつつあった。
「ねぇママ、あきとくんのパパってかっこいいね」
 心を見透かされているようで、私は眉を下げて笑った。
「そうだね、かっこいいね」
「りこのパパはかっこいい?」
 思わず手に持っていた部屋の鍵を地面に落としてしまった。この子が父親の事を口にしたのは、これが初めてかも知れない。
「かっこよかったよ。とっても。さぁ、早くご飯にしよ」
 格好良かったよ。過去形にして話さざるを得ない事に、莉子はいつか納得しなければいけないのだ。


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