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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第4話-8

彼と付き合っている時間は、まるで夢のようだった。
自分が今まで置き去りにしてきた感情を取り戻してくれるかのような、楽しい時間。
それを自ら手放してしまった。
きっと、自分は一生このままなんだろう。
親しくない人に対しては平気で偽りの仮面を被り続けて、親しくなりたい人には意地を張り続けて、理解されないまま。
駅までの坂を下りながら、虚ろな瞳の英里の頬に、涙が一滴零れた。

―――決定的な別れの言葉を告げてしまった翌日。
数学の授業で、期末試験の答案が返された。
出席番号順に生徒の名前を呼ぶ、朗々とした彼の声が教室中に響き渡る。
その声が耳に響くたびに、英里の胸は震える。
「水越さん」
圭輔が、英里の名前を呼ぶ。
立ち上がり、他の生徒と同じように答案を受け取りに行き、彼の顔を見ないように、答案を受け取った。
点数は、さして気にしていなかったが、やはり心配する必要なかったようだ。
英里は、特に数学が得意教科でもある。
感情を交えず、作業的に決められた公式を当て嵌めていけば答えが得られるところが、彼女には合っていた。
「よくできましたね」
圭輔が英里に、いつもの穏やかな笑顔で微笑む。
「あ、はい、ありがとうございます…」
周囲に違和感を与えないよう、英里はそう返事をした。
もう、絶対自分に向けて微笑み掛けたりしてくれないのだろうと思っていたのに…。
でも何か引っ掛かる。
…そうか、彼のいつもの、笑顔。
誰にでも分け隔てなく接する時の彼の笑顔。
もう、自分は他の生徒と同じ。単なる生徒のうちの一人だという事なのだろう。
少し塞ぎ込んで、英里は自分の席に着く。
再度、何気なく答案用紙に目を落とすと、一番下の余白部分に何か小さく書き込みがある。
“今週の土日、泊まりでどこかに行こう。約束、したよな。”
その文字を見た瞬間、彼女の全身の血が沸騰しそうな感覚が襲う。
思わず力が入ったのか、掴んだ部分の答案用紙がくしゃくしゃになってしまった。
(あんな事を言ってしまったのに、どうして…!?)
泊まりでなんて…今更、彼とどんな風に過ごしたら良いというのか。
それから彼は授業で試験問題の解説を始めたが、そのメッセージの事で頭がいっぱいの英里は、全く耳に入ってこなかった。
相手の真意が測れず、授業後、圭輔のところに駆け寄る。
人目を憚るような行動を避けてきた彼女にとって、教室内で自分から圭輔に話しかける行為なんて初めてだった。
「先生、あの…」
教室を出ようとする、圭輔に声を掛けた。だが、いざ来てみると、的確な言葉が見つからない。
どうやって切り出せば良いのか考えあぐねていると、
「何か、採点間違いでもありましたか?」
「いえ、その…」
確かに、彼は微笑んでいるのに、冷たい空気のようなものを感じるのは何故なのだろう。薄い紗幕が一枚あるかのように、自分と彼の間が隔てられている、そんな違和感。
その雰囲気に圧されて、まだ言うべき言葉が思い浮かばず、まごついていると、見かねた圭輔が助け舟を出した。
「すみません、話があるなら今から職員室に一緒に来てもらえますか?」
「え…」
2人で一緒に教室を出て、圭輔に言われるがまま、英里は後ろに従う。向かっている先は明らかに職員室ではない。
「あの、どこに…」
彼女の問い掛けを無視して、圭輔はさっさと歩いて行く。仕方なく、英里も黙ってついて行った。
そして、辿り着いた先は、数学準備室だった。扉を閉め、念のためしっかりと内鍵を掛けてから、ようやく圭輔は英里の方を振り向いた。
先程のように愛想笑いは浮かべておらず、ただ静かに英里の方を見つめていた。
「ここだったら静かに話ができるよ。何?」
「これ…どういう事ですか?」
英里は先程の答案を彼に見せる。
「この前、今度どこか行こうって約束しただろ?」
「でも…」
「予定空いてない?」
「大丈夫ですけど…」
自分の知りたい答えが返ってこない。どう尋ねればいいものか、困惑した表情で英里は口を濁すが、
「……ごめん、俺の最後の頼み。聞いてくれる?」
少し眉を顰めて、圭輔が切なげにそう囁くと、彼女の頭の中が真っ白になった。
「土曜日の昼、家まで迎えに行くから…」
すれ違いざまにそう告げると、圭輔は先に部屋を出て行った。
一人残された英里は、呆然とその場に立ち尽くす。
彼は、昨日言った事をそのまま受け取ってしまったのだろうか。
何度も謝る機会があったのにそれをふいにして、まだ引き止めてもらえるのではなどと、心の片隅で期待していた自分は甘かった。
最後のお願い…これで本当の最後…。
唇を噛み締めながら、何度も彼の言葉が彼女の頭の中で反芻された。



当日、英里はマンションのエントランスの裏に一人佇んでいた。
表だと目立って、相手が両親にばれてしまうかもしれない。
友人と旅行に行くと偽って一応両親の許可は得たが、少し訝しんでいるようだった。
複雑な思いを抱えながら、圭輔を待つ。
行き先も告げられていない。一体、どこへ行くというのだろうか。
そういえば、こうやって彼に迎えに来てもらうのは、初めて2人で遊園地に行った時以来だ。
その時の光景を、懐かしむように思いを馳せていると、車のエンジン音が近付いてきた。
「水越さん、お待たせ」
いつものスーツ姿ではなく、私服姿の彼を久しぶりに見た。
笑顔で迎える資格もない今の彼女は、一体どんな顔をすれば良いのかわからず、結果としていつものようにうつむき加減で、彼を迎えた。
「いえ、全然…」
それ以降、車内での2人の会話は一切なかった。
圭輔はひたすら運転するばかりで、英里も自分から話しかけるなんて出来るはずがなかった。
他愛ない話ができる雰囲気ではない。


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