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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第4話-9

ラジオも、音楽も何も掛けず、ただ車から発せられるエンジン音だけがBGMとなり、ますます2人の間に流れる殺伐とした空気を増大させているようだった。
窓から見える、広い海。波も荒く、冬の海は寒々しい。
雪が降り出しそうな程暗く曇った空を映した灰色の荒々しい海を、英里はひたすら眺めていた。
空の色だけでなく、まるで、自分の心の色も映しているかのように感じられた。
本当だったら、もっと弾んだ気持ちで初めての旅行に行っていたはずなのに。
それからも英里はぼんやりと、流れゆく荒涼とした景色を見つめ続けていた。

数時間後、とある旅館の前に着くと、圭輔は車を停めた。
「今日は、ここに泊まろう」
大きくはないが、とても趣のある建物だ。
それに、日本庭園のような瀟洒な庭がある。
冬枯れの景色の中に佇む、俗世離れしたような静かな場所。
落ち着いた雰囲気がとても彼女好みであり、しっかりと自分の好みをわかってくれていた彼の方に、英里は密かに熱い視線を投げかける。
「ほら、行こう」
圭輔が、彼女の手を取って歩き出す。
手が触れた瞬間、まるで電気が走ったかのような錯覚を起こす。
「!」
咄嗟に手を離してしまうが、英里はもう一度圭輔の手を取った。
甘い感情が心を満たすと同時に、彼女の胸はちくちくと痛むのだった。
触れるだけで、こんなに体が反応してしまう。
英里のよりも一回りは大きい手から伝わる、彼の温もり。
眩暈を起こしそうな程、息苦しくなる。

時刻はもう6時過ぎ、着いたらすぐ部屋に食事が運ばれてきた。
海が近いため、新鮮な魚料理と、海鮮をふんだんに使った鍋料理などが食卓に並ぶ。
本当は、とても美味しい食事なのだろうと思うが、脳が別の事に意識を向けているせいか、あまり舌に伝わってこない。
食事中もほとんど会話を交わさなければ、視線も合わさず、緊張で体も上手く動かなかった。
まるで全身を有刺鉄線で雁字搦めにされているかのように、痛い。
―――英里は今、露天風呂に浸かっていた。
立ち込める湯煙で視界は不明瞭だが、どうやら他に宿泊客はおらず、今は1人きりのようだ。
こうやって1人、お湯に浸かることで、ようやく彼女の緊張も解れていく。
どうして、今一緒にいるのだろう。
彼と過ごす、最後の時なのに、何も言えない。もう親しく言え合える間柄ではない。
視線が交わるのを避けるために、彼の横顔をこっそりと盗み見ていた。顔を見つめる度に、胸が押し潰されそうに苦しくなる。
何度も何度も泣きたくなっては、必死に堪えていた涙が、ここで一気に溢れ出た。
涙と一緒に、言いたくても言えない言葉が溢れ、流れ落ちていく。
ついには、誰もいないのをいい事に、両手で顔を覆って、嗚咽をあげてしまう程泣いてしまった。
また、彼と顔を合わせる時には情けない顔を見せてはいけない。
我慢する事なく、泣きたいだけ泣いていると、気付けば、30分以上も温泉に浸かりっぱなしだったようだ。
のぼせる寸前で英里は露天風呂から上がって部屋に戻ると、既に二組布団が敷かれている。
圭輔は、まだ戻ってきていない。
英里はその事に少し安堵の吐息を漏らすと、ふらつく体を引き摺り、先に布団に横になった。
お風呂の中で泣き疲れたのか、彼女はそのまま軽く眠りに就いてしまった。

彼女が再び、目を覚ますと、部屋の中は真っ暗になっていた。
まだ暗闇に目が慣れず、時計の針は何時を指しているのかわからない。
隣の布団には、圭輔も眠っていた。あれから、だいぶ時間が過ぎたという事だろうか。
圭輔の顔を見つめていると、温泉の中であれ程泣いたというのに、また涙がじわじわと滲んでくる。
ちょっと硬めの黒い髪も、顔も、手も…夜が明ければもう触れられない相手になってしまう。
本来の、教師と生徒の関係に戻るだけだ。
それどころか、もうすぐ高校を卒業するのだから、彼とは何の接点もなくなってしまう。
涙が込み上げて、止まらなくなりそうになる。
寝返りを打って圭輔に背を向け、英里は必死に嗚咽を噛み殺していると、それに気付いた彼は静かに話しかける。
「…どうした?」
「なん、でも、ないです…、すみません、起こし、ちゃって…」
これ以上惨めな泣き声を圭輔に聞かれたくない。
部屋を出ようと、体を起こして立ち上がろうとする英里の背後から、温かい感触が彼女を包む。
「あ…」
突然、圭輔に抱き締められて、英里の胸は高鳴った。
「大丈夫だよ、寝てなかったから」
英里の頭を撫でながら、安心させるように優しく話す。
彼の熱に触れて、英里はもう涙声を抑えられなくなってしまう。
彼の優しさに触れて、英里はもう自分の気持ちを偽り続けられなくなってしまう。
ぽろぽろととめどなく涙が彼女の頬を伝う。
「先生、ごめん、なさい…」
圭輔に背を向けたまま、英里は初めて素直な気持ちを漏らした。
「好きじゃないなんて、嘘です。…嫌いに、ならないで…」
しゃくりあげながら、英里はたどたどしく思いを告げる。
今更、何て都合の良い事を言っているのだろうと自覚しているが、後悔を抑えられなかった。
「怖いの、先生にだめな自分を知られる事が。私は、先生と付き合ってて、いつまでも自信が持てない。でも、他の誰よりも、先生にだけは嫌われたくない…」
「…。」
圭輔の、彼女を抱き締める腕により力が篭もる。
浴衣の隙間から覗く彼女の白い首筋から、風呂上りで、ほんのりと石鹸の香りがする。
「…嫌いに、なるわけないだろ。俺は、英里しか見てないから…英里がまだ俺の事好きでいてくれてるって思ってたけど。…自惚れてた?」
英里は、圭輔の腕に自分の手を添える。
「自惚れじゃないです。先生が好きすぎて、どうしたらいいかわからなくなって、胸が苦しい…」


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