濡れる紫陽花、斎川霞-3
「じゃあ、もう少しいてもいいかな?」
彼が口端を上げて笑み、身を乗り出して距離をつめる。
「俺たちにはもう少し、お互いを知る時間が必要だと思うんだよね」
そう唇をわざと近づけて囁き、いい終えた直後に軽くふれさせた。
羽のようなキス。
今更始めよう、そんな解釈ができそうな態度だ。
「知る必要、無いんじゃないかな」
努めてにこやかに。棘を含まない声色で返した。
夜から始まった関係はすべてイミテーションだと思うから。
輝いて見えた夜も、朝になればどうしてって思うときもあるでしょ?
恋人、年齢、性格、家族、数えたらきりがないけど、夜のうちに語った言葉なんて大概が嘘に違いない。
見栄や欲望で、人は簡単に嘘をつけるのだから。
「残念、ガードが固いみたいだ。でもまぁ、しつこい男は嫌われるからこの辺で引きましょう」
そう言って彼は立ち上がった。
「ご馳走さま。ずいぶん長居してごめんね」
迷わず玄関に向かう背中は、そう期待していたのにどこか胸を切なくさせる。
「じゃあね」
あっさりと出ていくその後ろ姿。
私はダイニングに着いたまま、手だけを軽く振っていた。
もう二度と会うことはないだろうと、一抹の寂しさを覚えながら。
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