南風之宮にて 1-9
「それで? もう神官に報告はしたのか?」
「ああ。通達のついでに、奥の院の新しい鳥像を見ようと思って寄ったんだ。王子がお前に似ているというから……」
アハトは奥の院を守るように置かれた石像に目を遣り、ついでハヅルを見た。
「全然似ていないな」
「当たり前だ。だいたいあれ、男じゃないか」
王子も王女もいい加減なものだ。
ハヅルが憤慨してみせると、アハトは珍しく声を立てて笑った。
その後も二人はしばらく他愛のない会話をしていたのだが、やがて時間の経過に気付いたアハトが立ち上がって言った。
「そろそろ戻る。また明日な」
「え……」
ハヅルは何も考えずに声をあげた。
「もう行くのか?」
アハトは驚いた顔をした。
いや、表情で言えば頬も瞼もぴくりとも動いていなかったのだが、ハヅルには、彼が何かを意外に思ったのがわかった。
「何だ、その顔」
「いや」
アハトはまじまじとハヅルの顔を見ながら言った。
「…それほど急ぐわけじゃないが」
「じゃあもう少し居ろ。もう宮の司のいやみを一人で食らうのはうんざりだ」
「巻き添えにするつもりか」
アハトは嫌そうに眉をひそめた。
「私は疲れてるんだ。息抜きしたくても、ここでは変化して羽根も伸ばせやしない」
ハヅルはふくれ面で愚痴をこぼした。それからちらりとアハトを見る。
「だから……」
上目遣いにアハトを見上げながら、ハヅルは彼の足下ににじり寄った。
アハトは、ああ、と察したように表情を和らげた。
「またか」
彼はやれやれ、と肩をすくめた。
「子供だな、ハヅルは」
「ほっとけ」
ハヅルに袖を引かれるまま、アハトは再び隣に腰をおろし直した。
ハヅルは彼の方に頭を傾け、さっさと目を閉じて待った。
アハトは目を閉じた彼女の前で、一瞬だけためらうような素振りで動きを止め……ついで、ふわり、と彼女の髪に手を置いた。
アハトの手が優しく髪を梳いていく。
毎朝くしけずってもなかなか真っ直ぐにならないゆるい巻き毛を指にからめ、ほつれを丁寧にほぐしていく。
そのまま長い手指が髪に潜り込み、頭皮をやわらかく圧迫した。
「んー……」
アハトは“羽づくろい”が上手だ。
少しも痛くしないし、力加減が絶妙で、皮膚の凝りを押し流すような動きがとても快い。
祖父のサケイには髪を引っ張られたことがあるし、他の親しい者も力加減や繊細さにおいて微妙に気に食わない。
そういうわけで結局、ハヅルは五つにもならないころからアハト以外と羽づくろいはしないようになっていた。
ツミの里では、里の内に限っては、鳥態に変化することはタブー視されてはいない。
飛行訓練に入った子供など、一日の半分以上も鳥の姿で飛び回っている。
そんな生活から、人里に出て王宮務めを始めるとそうそう変化できなくなるため、若いツミの中にはストレスをためてしまう者もいた。
ハヅルの場合そこまで顕著ではないものの、今は特に自在に変化できない宮の結界の内、しかもあの宮の司と顔を合わせる状況に、かなり苛立ちが募っていたのは否めない。
この行為には心身をくつろがせ、苛立ちを解消する効果があった。
前述のように他人に頼めない理由もあって、南風之宮に滞在する間は我慢するしかないと思っていたところへのアハトの登場に、ハヅルは歯止めもなく彼の手に身をゆだねていた。