『望郷ー魂の帰る場所ー第二章……』-5
「仕方ない……ならばもう少し、こちらも手の内を明かそう。悪戯に動揺させたくなかったから黙っていたが、僕は君にも危険が迫っている気がしてならない。」
田神の意外な台詞に宏行は驚いて顔を上げる。
「彼が言った台詞は本当はこうだ。『気をつけろ。アイツは、あの女は…』だ。何が言いたいか分かるかね?おそらく、彼を襲った相手は君の知っている人物である可能性が高い。」
「まさか!!ありえない、そんな事……」
「教えてくれないか?君に何があると言うんだ?」
詰め寄る様に田神は言う。宏行は俯き、何かを考えているみたいに押し黙った。やがて、意を決した様に顔上げると田神を見つめ、口を開く。
「事件に関係あるか分からないけど、見せたいモノがあります。その前に俺の身体を検査して下さい。」
「君を?……何故?」
「俺がトリックなんか使ってないって証明する為です。それと、あなたの手で鍵をかけて下さい。誰も入って来ない様に……」
不振に思いながらも、田神は宏行の身体を調べた後、ドアに鍵を掛けた。
「…で?何を見せてくれるんだい?」
そう、田神が尋ねると、宏行はシャツのボタンを外してTシャツごと脱いだ。
「いつもなら、そろそろなんです。ちょうど、変な噂が起き始めた頃から俺の身体にも異変が起きる様になったんです。」
「異変?」
「ええ、時間こそ不定期ですが、毎晩必ず……」
そこで宏行の言葉が途切れた。低く呻くと、顔を歪める……
「見ていて……下さい。俺の…首を……」
宏行は呻く様に呟いた。その言葉に首筋を凝視していた田神は目の前で起こった現象に言葉を失う。
それは始め、赤い小さな点だった……
一つ、また一つと赤い点は増えていき、それらはやがて筋状となって首回りを一周していった。恐る恐る手を伸ばした田神は、宏行に尋ねる。
「触れてもいいかな?」
その問いに顔をしかめながらも宏行が頷くと、田神は片手で眼鏡を押し上げて緊張した面持ちで首筋に触れた。
「一体、何なんだ?こんな現象なんてありえない……。だが、間違いなく目の前で起きている……」
一見、支離滅裂とも思える田神の言動……それは、取りも直さず田神の興奮を物語っていた。軽く赤い筋に触れた後、田神は自分の指先を見つめる。親指と人差し指を擦り合わせて何かを確認すると、再び宏行を見た。
「本当に血が出ている訳ではないのか……」
思わず田神がそう呟く程、今にも皮膚を破り赤々とした鮮血が流れるのではと思える程に首筋の痣は真っ赤に染まっていた。
それは時間にして数分の出来事。田神の目の前で痣は少しずつ薄くなり、やがて跡形も無く掻き消える。
「しまった!!私とした事が記録を撮るのを忘れていた……」
少しの間を開けて我に返った様に田神は叫んだ。大きく溜息を付き、再び椅子に体を沈めるとすでに冷めきってしまったコーヒーを一口啜る。
「ああ、悪かったね。もう服を着てくれ。」
そう言いながら眼鏡を外し、こめかみを揉みながら田神は何かを思案している仕種を見せた。宏行が服を着終えるまで煙草を咥えていた田神は乱暴に灰皿に押し付けて揉み消すと、ゆっくりとした動作で顔を上げる。
「成程……君が言い淀んでいたのは、こういう理由だったのか。まだ判断材料が足りないし、確信を持って言える訳では無いが恐らく無関係とは思えないな。」
「やっぱり……」
そこまで言い掛けて宏行は口をつぐむ。
「その口ぶり……やはり、君自身もそう思っていた訳か……」
田神の言葉に宏行は静かに頷いた。
トン、トン、トン……
指先がテーブルを弾く。
そして、先程と同じ様に田神はこめかみを揉んでいた。多分、それが思考を纏める際の田神の癖なのだろう……そして、その指先の動きが不意に止まる。
「この現状を打破する方法……。恐らくは二つしかないと思う。ただ、そのうちの一つは出来る事ならしたくない……」
普段と違い持って廻った様な田神の言い方。それはまるで、思考を纏めながら言葉を紡いでいる様にさえ見えた。
「もう一つの方法って?」
宏行は椅子に座り、田神と向き合うと気を鎮める様にコーヒーを飲んで尋ねる。
ギシッ!
背もたれが音を立てて軋んだ。田神は頭の後ろで両手を組むと寄り掛かったまま天井を見上げて大きく息を吐く。
「何、簡単な事さ……何が原因でこうなったのかを君が思い出してくれればいい……」
「それは………」
思わず言葉に詰まる宏行を横目で見ながら、田神は煙草を咥える。小さく火が灯り、紫煙が部屋の中に拡がってゆく……