『望郷ー魂の帰る場所ー第二章……』-4
脱ぎ散らかした制服が部屋の床に散乱している。
そして、ベッドの上には私服に着替えた宏行が横たわっていた。時計の針は午後7時を少し過ぎている。少しでも眠れればとベッドに入ってみたけれど結局、一睡も出来なかった。
「××病院…精神科主任……田神…か。」
渡された名刺をしげしげと眺めながら、宏行は呟く。別れ際に田神が言った言葉が気に掛かる……
力になれる。本当にそうなんだろうか?原因すら分からないのに解決策などあるんだろうか?
「嘘くせえよ……」
名刺を放り投げて宏行は布団を被った。
カタカタカタ……
デスクの明かりだけが灯った部屋にキーボードを叩く音が響く。
一連の事件に時間を割かれ、田神は一人残業に追われていた。ふと手を休めて煙草を咥えると時計を見る。時刻は午後8時半になろうとしていた。
コンコン……
小さく部屋の扉がノックされる。その音に田神は振り向きもせずに答えた。
「入りたまえ。」
その言葉に応じる様にノブが回り、静かに扉が開く。面会時間などとっくに終わっているというのに部屋を訪れる者がいた。ようやく田神は振り返り、にこやかな笑みを見せる。
「来てくれると思っていたよ。今、明かりをつけよう。」
部屋が突然明るくなり、その明かりの下には俯いたまま佇む宏行がいた。
「あんたを信用していいのか?」
部屋に一歩足を踏み入れて宏行は言った。田神は答えず、テーブル脇のサーバーから二人分のコーヒーを煎れた。先に座ると宏行にも椅子を勧める。
「確かに今日会ったばかりの僕を信用しろと言っても無理だろう。だから、まず僕の話を聞いてくれ。そのうえで君の判断に委ねよう。信じるに足るのかどうか……」
田神の言葉に頷き、宏行は座った。
「まず、彼の怪我についてだが襲われたと見て間違いない…が不明な点が多すぎる。一つには、何人に襲われたのか……。警察の話では単独犯だと言う事だが、それはありえない。何故なら手刀や足刀を叩き込めば、或いはバットなど使えば可能かもしれないが、その場合患部に痕が残ってしまう。仮に素手で折ったとしても、やはり指の痕が残る。しかし彼の場合はその痕がまるで無かったんだ。故に単独犯説は立証しにくい。」
そこまで話すと田神はコーヒーを啜った。
「だが方法はある。例えばバットを毛布みたいなもので包み、それで殴れば痕は残りにくいだろう。しかし、そこまで用意周到に準備して襲われる程の恨みを彼が買っていたのかどうかは疑問だな。」
「結局、何が言いたいんだ?あんたは……」
苛立つ気持ちをぶつける様に宏行は吐き捨てる。
「そう尖るなよ。本題はこれからだ。僕自身の考えはこうだ……。彼は単独の何かに襲われた。しかも、想像を絶する様な方法で………そう、精神を錯乱する程の何かで怪我を負った。いや、負わされたんだ。彼女にね……」
「なっ!!!」
田神が口から零れた言葉に宏行は思わず叫んでしまった。そんな様子を見て、田神は眼鏡を中指で軽く押し上げる。
「彼にとって、大切な友達なんだろうな君は……。正直、羨ましいよ。あんな状態なのに、君の心配をしていたよ。『宏行、気をつけろ……アイツに、あの女に……』ってね。」
吸いかけの煙草が灰皿の中で燃え尽き、田神は新たに煙草を咥えると火を付けた。紫煙が立ちのぼり、ゆらゆらと室内に拡がって行く。
「さて、全てではないが僕の手の内は明かした。君の答えを聞きたい。」
テーブルに両肘を付き、組み合わせた指の上に顎を乗せたまま田神は宏行を見つめた。
「事実を知ってどうするんですか?俺は……俺達は、あんたの研究材料になる気なんて無い!」
勢いよくテーブルから立ち上がると宏行は扉ヘ向かう。すると後ろから高らかな笑い声が聞こえた。宏行は馬鹿にされた様な気がして振り返り、田神を睨み付けた。
「何がおかしい!!」
凄む宏行を軽くいなし、田神は笑いながら言った。
「君達は、どうあっても僕をマッドサイエンティストか何かにしたいみたいだなぁ……。くっくっくっ、よく考えてみなさい、君は事件の発見者で、ひょっとしたら何等かの関わりがあるかも知れないが、君自身が特殊な能力(ちから)を持っている訳じゃあないだろう?確かに超常現象に興味はあるが、だとしてもそれは君じゃない。」
「じゃあどうして?」
宏行は田神に詰め寄った。悠然と煙草を吹かし、田神は頭の後ろで手を組む。
「不謹慎な言い方かも知れないが興味がある。それと、これでもホームズに憧れていてね、謎解きをしてみたいんだよ。」
そう言って田神はニヤっと笑った。その言葉を聞いて唖然としていた宏行は我に返り溜息をつく。
「俺の仲間を巻き込まない……その言葉に嘘はないんですね?」
宏行の問いに田神はおどけた様に片手を上げる。
「神に誓って……もっとも神なんざ、信じちゃいないがね。」
宏行は椅子に座り直し、じっと田神を見つめる。
「一応信じます。で、何から話せばいいですか?」
「君の知っているコトを……」
宏行は頷き、ゆっくりと話し始めた。学校での事、発見した時の様子。終始頷きながら田神は聞いていたが、宏行が話し終えると一言だけ言った。
「成程……だが、些(いささ)か腑に落ちないな……。倉持君、君はまだ何か隠しているね?」
「そんな……」
田神の言葉に宏行は詰まった。何かを避ける様に目を逸らして俯いてしまう。