『望郷ー魂の帰る場所ー第二章……』-3
「ああ、刑事さん。ちょうど彼等に説明を終えたところですよ。さぁ君達も今日は帰りなさい、いいね?」
有無を言わせず医師は席を立つと何やら刑事と話し始める。椅子に座ったまま呆然としている宏行を真冬は軽くつっつき小声で囁いた。
「宏行、帰ろ。」
「ああ、そうだな。」
真冬に促され宏行は椅子から立ち上がり、鞄を抱えると軽く頭を下げて部屋を出て行った。
「何なのよ、あの変な医者は!?」
院内の廊下を歩きながら真冬の怒りはまだ収まっていなかった。
「宏行、あんな医者の言う事、真に受けちゃダメだからね?」
忿懣(ふんまん)やる方ないといった感じで真冬は言う。しかし、当の宏行は心ここにあらずという状態だった。何気ない医師の一言に自分は激しく動揺してしまった。
図らずも、それは事実を認めた事に外ならない。気付かれてしまった……自分が何かを知ってると言う事を。そんな巡る思考を遮る様に遠くから宏行達を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい!待ってくれ!!」
バタバタと廊下を走り、さっきの医師は宏行達の方へやって来た。側に来た医師に、真冬は露骨に不快感を表す。
「まだ何か用ですか?」
毒づいた真冬の台詞に苦笑しながら医師はポリポリと顎を掻いた。
「相当、嫌われたみたいだなぁ……そんなに嫌な顔しないでくれよ。」
「用件をおっしゃって下さい。」
真冬は取り付くしまもない。医師は、ふぅっと溜息をつくと内ポケットから名刺を取出して裏側に走り書きをすると宏行に手渡した。
「僕の名刺だ。病院の内線番号も書いてある。裏に携帯番号も書いておいたから、今度は来る前に電話してくれ。今日みたいに二度手間させては申し訳ないのでね。」
そう言って鼻の頭を親指で擦った。
「あ、わざわざすみません。」
医師の突然の行動に驚きながらも、宏行は頭を下げる。
「いやいや……おや?倉持君、肩にゴミが……」
医師はさらに宏行に近付くと、真冬に聞こえない様な小声で囁いた。
(僕は君の力になれると思う。大丈夫、警察には伏せておくから是非連絡してくれ。)
医師の言葉に宏行は目を見開く。宏行の肩を二、三度払うと医師は何事もなかったみたいに笑った。
「ん…取れた取れた。じゃあ、気をつけて帰りたまえ。」
それだけ言うと背を向けて、もときた廊下を帰って行った。
「まんざら嫌な奴って訳でもないみたいね。」
軽く鼻を鳴らし、真冬は呟く。隣から何のリアクションも無いので、真冬がちらっと横を見ると宏行はまるで凍り付いた様に固まっていた。
「どうしたの?宏行」
しかし、返事は無い……。何度か名前を呼んでも返事が返って来ないので、真冬は宏行の両肩を掴んで揺すった。
「ねぇ、宏行ってば!」
「あ、ああ……」
そこでようやく我に返った様に宏行は応えた。
「どうしたってのよ?」
「何でもない……何でもないんだ。」
宏行は思う。
(何でもない……)
それは真冬に言ったのだろうか?それとも自分に対して?動揺を押し殺す呪文の様に、宏行は呟き続ける。何でもない、大丈夫だと……
「何か…あったの?」
不安げに真冬が尋ねて来るところを見ると残念ながら呪文の効果は、まるで無かったらしい。そうと分かっていても何かにすがる様な思いで繰り返し宏行は呟く。
「ホントに何でもないってば。俺は大丈夫だから……」
「俺は?」
真冬に尋ねられて、自分の言葉を飲み込む様に慌てて宏行は口を閉じた。深く息を吸い込み、一旦止めてからゆっくりと吐き出す。
「いろいろあったから、俺も気が動転してんのかな?本当に何でもないんだよ。」
「そっか……だよね。本当に大丈夫なの?宏行。」
咄嗟についた言い訳だったが、上手いこといったらしい。自分の事を心配する真冬の言葉に宏行の胸はチクリと傷んだ。
「大丈夫……真冬、悪いんだけど先に帰っていいかな?今日はもう頭がパンクしそうなんだ、ゴメン。」
本当の理由は他にある。けれど傍目に見ても分かる程に宏行の顔は青ざめていた。そんな状態でそう言われたら、引き止める事など真冬に出来よう筈もない。
「落ち着いたらメールしてね?」
真冬がやっとの事で口に出来たのはそれだけだった。その言葉に宏行は頷き、病院を後にした。