(夏編)-5
「あんた、こりゃ詐欺だよ…よくある手じゃないの…知らない男に多額のお金を貸すなんて、
信じられないね…同じ手口で被害にあった人もいるかもしれないから、一応、調書をとらせて
もらうよ…とりあえず手配するけど、相手の男は詐欺のプロみたいだし、おそらく見つからな
いね…」
相談した近くの警察署の若い刑事の言葉は、素っ気ないものだった。
「男の写真なんてもってないよね…おそらく彼は、そんなマヌケなことをする男じゃないな…」
と、刑事が頭をかきながら、面倒くさそうに書類を書き始める。
彼の写真なんて…思いだしてみれば、ふたりで撮った写真はすべて彼のデジタルカメラで撮っ
たもので、私の手元には一枚もなかった。ただ、送られてきた私の恥ずかしい写真だけが密か
に手元に残っているだけだったが、とても刑事に見せるわけにはいかなかった。
いつのまにか夏が終わろうとしていた…。
あんなに耀いていたと思っていた夏空が、なぜか遠く霞んで見える。
最近は、近所の人とも顔を合わせることが嫌になり、旅館をひっそりと閉めて引きこもりがち
になっていた。生活は何とかやっていたが、自分の気持ちのなかに、蝉の脱け殻のようなもの
を感じていた。
でも… 化粧台の鏡に映った自分の顔…
その顔は、鬱屈とした自分の気持ちとは違い、凪いだ湖面のように静かで、どこか懐かしい
輪郭へと変わっていたのだ。いつからこんな顔に変化していたのか、まったく気がつかなかっ
たことが不思議だった。
こんな顔って…
そう言えば、ずっと若かったときはこんな顔をしていたような気がする…。遠い記憶をゆっく
りとたぐり寄せる。いつ頃だろうか…夫と結婚したときかしら…違うわ…会社で働いていた
独身のOL時代かな…違う…もっともっと以前の頃だわ… そう…私がまだ高校生の頃だ…。
カガワさんに縛られながらも、あのときの私の心とからだは何かに目覚めるようにときめいて
いた。ふとそんなことを想ったとき、恥ずかしさと同時に、解き放たれた自分の心が微睡むよ
うに私の中をかけめぐっていった。
そして、今… 私の顔は、遠い昔の顔に戻ってしまったのだ…。
「だから言ったじゃないか…わけのわからない男はやめろ…ってね…」
旅館の屋上で洗濯物を取り終えた私の背後で、心配して尋ねてきてくれたケイスケが神妙な顔
をして慰めてくれる。
黄昏の空には、いつのまにか秋を思わせる鰯雲がオレンジ色に染められていた。
暑かった夏も、もう終わりか…そう思いながら茫然と佇む私の肩を、ケイスケが静かに抱いて
くれた。なぜか懐かしく感じるケイスケの温もりに、私の瞼のうらがゆるやかに潤んでくる。
「オレが高校の頃、ユリコに渡したラブレターをおぼえているか…」
えっ… 私はケイスケの顔を振り返る。そのとき、私はケイスケに強く抱きしめられた。
「不思議だよな…今のユリコって、高校時代のユリコに戻ったような気がするんだ…オレは、
あの頃からずっと本気だったよ…」
以前、ケイスケがつぶやいたあの頃って…私が高校生の頃だったのだ…。
彼の唇がゆっくりと私の唇をとらえ、まるで心の渇きを癒すように私を潤してくれる…。
「よかったら、オレと結婚してくれないか…」