13-1
子作りと称するセックスで私はあまり濡れず、総司は不満を漏らしていた。
「俺の事が嫌いになったのか?」
どれだけ総司の事を愛しているか、測れる単位があったらどんなに楽か。きっと振り切れている。
「ちょっと最近、疲れてるんだと思う」
私はそう言葉に出すと、本当に疲労感が襲ってきた。考え過ぎて、疲れているのだ。
「ストレスがあると子供も出来ずらいっていうしさ、こんな田舎じゃストレスもたまるだろうけど、本とか服とか、好きな物買っていいからさ」
物で癒される事はないだろう。何をもってすれば癒されるのだろう、この疲労感。
彼があの時、嘘を吐かなければ。いつでも正直な総司でいてくれたら。
彼が吐いた初めての嘘に、私はズタボロに傷ついていた。
降り積もる雪を圧迫するような音が近づいて来て、家の前で停まった。
この町ではインターフォンは使わない。誰かが玄関をガラガラとら開ける音がする。
「すみません」と声がした。声の主にピンときた。済まないと思っているなら来なければいい。
「はい、どなたでしょう?」
私は目の前に立つキャメルのコートを着た女に声を掛けた。
今日はスカートにブーツを履いている。この田舎で誰に見せるのか、謎だ。
彼女は「森崎です」と言い、私に深く一礼をした。
「何のご用件でしょうか?夫なら留守ですが」
そう言ったら帰って行くだろうと思い、私は身体を反転させようとした。
しかし女はその場を動かず、「奥様ですよね」と私に声を掛けた。
「総司の、奥さんでしょ?」
この女も、総司を呼び捨てるのか。気に入らない。
女は長く伸びた栗色の髪を耳に掛けた。持っていた小さな鞄を肩にかけ直すと、ふんわり、キンモクセイの香りがした。私はそれだけで眩暈がし、玄関の柱に少し凭れ掛かった。
私は返事の代わりに頷き、彼女の言葉を待った。
彼女は長い脚をクロスさせ、玄関のドアに寄り掛かった。とても、人の家に訪れている時の態度ではない。義母がいたら、烈火の如く怒っていたに違いあるまい。
私に何か言いたい事があって来た事は、火を見るよりも明らかだった。私を指名しているのだから。
「私、ずっと総司と付き合ってたの」
「それで?」
私は全く余裕が無かったが、少しでも余裕のあるところを見せようと、少し頬を緩めたが、うまくいかなかった。
「総司が東京に行く事になっちゃったから別れたの」
「はぁ」
喧嘩別れじゃなかった、そんな事が言いたいのだろう。
「意味分かる?お互い思いを残したまま別れたの。それが再会したら、どうなるか、あなたにも分かるでしょ?」
私は腕を組んだ。結局、彼らの思いは再燃した、と言いたいのか。
釈然とせず「あの、はっきり言ってください。回りくどくて分かり難いんで」と言うと「頭悪いの?」と顔を顰められた。
顔を顰めた彼女は、素の美しい彼女とは比べ物にならない位、凶悪で、醜悪な顔になった。
「あなたじゃない。私が、総司の妻になるの。ずっと約束してたの。あなたと総司が出会う前からずっと」
私が何と言ったら彼女は帰ってくれるのだろう。思考回路を巡らせる。「どうぞ総司を差し上げます」とでも言えば良いのだろうか。
平常心を保とうとする自分がいるのに対し、酷く狼狽する自分が並列に並んでいて、彼女から紡がれる言葉に恐れおののいている。
「離婚して。いっその事死んじゃって。総司の隣を明渡して。消えて欲しいの」
消えて欲しい。その言葉に私の張りつめていた糸が切れ、足元が崩れた。その場に座り込んだ。
「何、何なの、あなた達は。こぞって総司総司って......」
彼女の顔すら見る事が出来ない。三十を手前にした女にしては短すぎるそのスカートのすそを見つめていた。スラリと伸びる、細く長い脚。総司の隣にいたら映えるだろうと思うとまた、吐き気がする。
「アンタこそ、そんななりで良くもまぁ総司の嫁になれたね。総司の目も狂ってたんだろうけど」
玄関に並べてあった靴の中の、私のパンプスが乱暴に蹴りあげられ、片方が玄関の上り框に乗り上げた。
「総司を一人にして。あなたは消えて。東京に帰るなり死ぬなり、自由にして」
森崎はそれから踵を返し玄関をピシャっと閉めて出て行った。
車のエンジン音の後に、雪を踏む音がゆっくり、ゆっくりと聞こえてきて、やがてエンジン音と同化し、遠くへ去って行った。
私は暫くその場を動けなかった。冷たいフローリングにへたり込んで、体中が冷えて痛かった。蹴られたパンプスは、総司と一緒に靴屋に行って買ってもらった物だった。
「死んじゃって」
私が死んだら総司は一人になってしまう。私を愛する総司が、一人になってしまう。そんなのは可哀想だ。彼は私を愛しているのだから。
心から冷え切った身体を何とか動かし、パンプスを片付け、二階へと上った。学生時代に解剖学を学んだ。その本を手に、ベッドの縁に座った。
人間の首から上の構造を見た。筋肉の付き方、血管、気道。こんな風にできているのか。本当はメモに取りたいぐらいだったが、今日は頭の中にインプットした