silent noise-3
「毎日、毎日よくやるよー。歯ぁ溶けちゃうよ?」
理愛はパソコンをスタンバイの状態にしていた。映画は見終ってないのだろうが、僕が来るとパソコンの作業を中断してくれる。
「ちゃんと水で洗ってるから大丈夫。理愛こそ、リスカしたあとのカミソリをこんなふうに放置しておくと刃が錆びるよ?」
「いーのよ。カミソリくらい。コンビニでいくらでも変えるじゃない」
いくらでも、なんて言ってるが、あまり買い物に行かない理愛は一度に大量のカミソリを買う。一度買い物について行ったことがあるがコンビニの店員は物凄く引いていた。
「いやー、しかし今日はいつもに増して不健康そーな顔してるねぇ。何かあった?」
理愛は椅子の上にあぐらをかいて、そう訪ねてきた。
「ん、実はさ」
うちの学校で最近実力テストがあった事。そのテストの結果では僕の志望校に手が届かなかった事。お陰で三者懇談の時に親と教師にこってりみっちり叱られた事。包み隠さず、感じた通りに話した。友達にも話さない事。理愛にしか話さない事。
「ふぃーん。そいつは大変だね」
「うん」
一通り話して、理愛はそういうリアクションを返してくる。
いつものことだ。理愛は自分から他人に甘えないし、甘えさせない。
けど、僕は唯一の心の寄り所として、
「慰めてよ」
と頼む。
「いいよ」
と理愛は立ち上がり、僕のように歩み寄る。その表情は別段変わらず、いつも通り。
「よーしよし。可哀想可哀想」
と言って理愛は自分の胸に僕の顔を埋めた。
理愛は優しい女の子なんだろう。SOSを出せばちゃんと助けてくれる。それにSOSを出しやすいように、固くなに閉ざした、氷ついた心を優しく、解きほどいてくれる。
それは、きっと、理愛も固くなに閉ざした氷ついた心を持っているから。自分が居心地のいい瞬間を、胸にしまって、他人にもそれを分けてあげられる。
「理愛の匂いがするよ」理愛の胸の中で、僕はくぐもった声を出した。
「ばーか。やーらしい事言うなよ」
いやがる様子もなく、怒る様子もなく、理愛はそう言った。
薄暗い部屋の中で僕達のような男女がこんなことをしていると、きっと傍目には恋人のように写るだろうか?しかし僕は、そう思わない。理愛はまるで
「お母さんの匂いがするよ、理愛」
僕は僕にも聞こえない声でそう呟いた。
「それじゃ、また明日ね」
「ういうい、またなー」
こんな感じで僕の30分は過ぎてゆく。
こんな感じで僕が僕でいられる30分は過ぎてゆく。
ここから僕は鬱になる。行きたくもない塾に行って、同じ志望校の塾生に勝手にライバル視されて、講師に受験のつらさをクドクド聞かされて、帰りたくもない家に帰って、勉強しろよ、としか言えない父親の相手をして、母親にはこの前の実力テストの事で説教を食らうに決まってる。
そして馬鹿みたいな量の塾の宿題をこなしてやっと眠れるのだ。もちろん起きたら学校に行かなければならない。
だから理愛に会えるのは丸一日明日になるわけだ。
長いなぁ。
自宅も、塾も、学校も、僕の居場所じゃ無いんだ。
理愛の近くにいたい。
「高校になるまでの我慢だよ」
そう自分に言って聞かせた。
これは僕こと歌方草音(ウタカタソウネ)の中学三年の冬の話である。
続く