『桃色の旅』〜変態映画館〜-4
翌日、上映予定時間よりも少し早めに映画館に着いた。8月も終盤とはいえ、まだ夕方のこの時間はじゅうぶんすぎるくらいに暑い。額から流れ落ちる汗をぬぐいながら建物の中に入る。薄暗い館内は冷房が寒いくらいに効いていて、汗に濡れた体がひんやりして気持ちが良かった。甘いポップコーンの匂いが鼻腔を刺激する。なんだか懐かしい、この香り。
受付で招待券を渡して予約番号を告げると、『8番ゲートへお進みください』と日付の印字された小さな番号札を渡された。ふかふかとした赤いじゅうたんを踏みながら建物の奥へと進む。矢印の案内に従って通路を歩き階段を下りていくと、『8番ゲート』のプレートが掛けられた柵の正面で、黒いスーツを着た綺麗な女性がにっこりと笑っていた。
「ようこそお越しくださいました。それではこちらへどうぞ、大変暗くなっておりますので足元にご注意くださいませ」
女性は一礼してわたしから番号札を受け取ると、腰の高さの柵を押し開けて場内へと誘導してくれた。もうすぐ上映時間のはずなのに、場内アナウンスも客の話声も聞こえなかった。……そういえばこの映画館に入ってから他のお客さんの姿を見ていない。ただ静かすぎる空間に、わたしたちの床を踏む音だけがキシキシと小さく響いた。
黒い壁に囲まれた細い廊下を誘導されるままに歩く。壁には宣伝のポスターも何も無く、小さな照明がところどころに取り付けられているだけだった。女性の足がぴたりと止まり、廊下の奥にあるいくつかの扉の内のひとつを開けた。
「こちらが上映室になっております。お荷物はこちらでお預かりいたします。どうぞ、お座りください」
「あ、はい……」
部屋の中は廊下よりもさらに暗く、なにがどこにあるのかわからない。女性に荷物を預け、手を引かれながら座席に腰を下ろした。頭からお尻まで、体重を預けた部分がしっとりとした柔らかなシートに包み込まれていく。どういう素材でできているのだろう。手や首筋など肌の露出した部分には、まるでシートが吸いついてくるようで……決して不快ではないのだけれど、ちょっと不思議な感じがした。
「それではこれより上映を開始いたします。映像に合わせて座席が動きますので、安全のために腰の位置にありますベルトをお締めください。また、このあとご覧いただく映像はお客様だけにしか見えない、世界にただひとつの映像でございます」
「世界に……ひとつ?」
「はい。座席のヘッドレストの部分にはお客様の脳波を読み取る特殊な装置が組み込まれております。こちらの装置がお客様のこれまでの記憶をもとに脳内に映像を映し出す仕組みとなっておりまして、今回は主に性的な部分において、それぞれのお客様にご満足いただけるストーリーが展開されます。どうぞ、最後までごゆっくりお楽しみください」
背後でパタンと扉の閉まる音がして、室内は一筋の明かりも無くなった。なんだか、普通の映画館とは全然違うらしい。ほかに人の気配がないので、少なくともこの部屋にはわたしひとりしかいないのだろう。個室の映画館? 招待券があったからよく見ていなかったけど、この映画館って本当はすごく高いのかも……
そんなことを考えているうちに、耳元でブザーが鳴った。それに続いて電子音を合成したような声が聞こえた。