『桃色の旅』〜変態映画館〜-2
「えぇー、いいじゃない! ウチの職場なんて3日しか休みくれなかったよぉ」
隣で友人の愛美が唇をとがらせて、心底うらやましそうにため息をついた。黒光りするカウンターに突っ伏して、子供のように両手をばたばたさせながら「うらやましい、うらやましい」と繰り返す。3杯目のカクテルですっかり酔ってしまったのか、頬が赤く染まっている。
まだ中身が半分ほど残っている華奢なカクテルグラスを、暴れる愛美が割ってしまわないように手元に引き寄せた。赤い液体の中でチェリーが揺れる。小さめの音量でジャズが流れる広い店内には、時間が遅いためか他に3組ほどの客がいるだけだった。愛美が右頬をカウンターにくっつけたまま、とろりと眠そうな目をこちらに向けた。彼からもらったばかりの指輪が光る左手で、わたしの肩をつんつんと突きながらうらめしげにつぶやく。
「あのねぇ、たった3日の休みなんてほんとにあっという間だったんだから。彼と近場で遊んで、友達と映画見て、実家に顔出ししたらもうオシマイ。1週間もあればさ、旅行だって遠くまで行けちゃうし、友達と遊ぶにしてもいろいろ考えられるじゃない。実家でゆっくりするのもいいだろうし……ほら、こんなふうにすれば1週間だってすぐに終わっちゃうよ」
「私には3日だって多すぎるけどね。旅行は面倒だし、特に行きたいところなんて無いし、実家に帰ったところで『まだ結婚しないの?』ばっかり言われるし、彼もいないし。だいたいこんなズレた時期だと友達と会うっていうのも……」
「香奈、そんな面倒とか言ってたら何にもできないよ? うーん、でもまぁ、8月も終わりだもんねぇ……この時期だとみんな休みは終わっちゃってるかぁ。そのかわり、平日ならどこに行っても混んでないからいいんじゃない? 休み中はどこに行っても大混雑でもう大変だったんだから」
映画館で泣き叫ぶ子供にだけは殺意が湧いた、とぶつぶつ言いながら、愛美が思い出したようにバッグの中から1枚のチケットを取り出した。明るい水色の空を背景に可愛らしくデフォルメされた動物たちが輪になって手をつないでいだイラストが描かれている。その横には「臨海タウン オープン記念招待券」の大きな文字。
臨海タウンは最近できた大型の複合施設で、温泉や遊園地、水族館を含めた娯楽施設とショッピングセンターを兼ね合わせた「大人と子供が楽しめる新しい街」をコンセプトに作られた場所だ。何度かテレビのCMで見た記憶がある。
「これ、親が会社でもらってきたんだ。彼と一緒に行こうと思ってたんだけどさ、日程が合わなくて無理だったのよね。水族館でペンギンのショーとか見たかったのに……期限があと1週間しかないから、香奈、よかったらあげるよ。1枚で何人でも、どこの施設にでも無料で入れるんだって」
「えっ、いいの? もらっちゃって」
「いいよ! そのかわり今日はもう少しだけ愚痴に付き合ってね、ほんとにもう彼ったら最近は会えばエッチばっかりしたがっちゃってさぁ、こっちの気持なんかお構いなしに突っ込めばいいと思ってるんだから……」
「ち、ちょっと愛美ったら!」
突然始まった愛美の大きな声での大胆な発言が静かな店内に響き渡り、チラチラとまわりの視線が集まる。恥ずかしさに思わず赤面してしまう。あわてて小声で注意したものの、酔いのせいなのか、よほど不満がたまっていたのか、愛美の言葉は止まらない。
「なによぉ、誰だってやってることじゃない。香奈だって処女ってわけじゃないでしょ? わたしだってね、エッチ嫌いってわけじゃないの。でもさ、もうちょっとだけこっちの気持ちも考えて欲しいって思うし、あんな自分勝手なエッチしかできない男と結婚するかと思うと不安になるんだぁ……そうそう、おっぱいさわったりとか、キスしたりとか、そういう前戯にもっと時間をかけてほしいっていうか……」
「もう! そんな話やめなって」
愛美はわたしの制止なんて耳に入らない様子で、ひとしきり彼とのエッチに対する愚痴を話し続けた。途中からはあきらめて適当に「そうね、そういうのってあるよね」なんて相槌を入れながら聞いていたけど、本当はドキドキするばかりで、少しも共感できなかった。
だって、わたしはまだ一度も男の人とそういうことをしたことがないのだから。