女の一馬力-1
あぁ面倒臭い。何でこんなにチンタラ仕事をしなきゃならないんだ。
私の1馬力だったら20分で帰れるって言うのに。
全てはあの男、高橋のせいだ。
彼が藤の木から諦めて帰るぐらいまで、ここで仕事をしなければ。
てゆうか、もう家に帰っちゃえばいいんじゃない?そんな風に思い始めたところだった。
私以外誰もいない部屋。PCの稼働音とプリンタが紙を排出する不定期な音だけが響く。
不意に、ドアの外から、リノリウムの床を歩く、小動物の声の様な音が聞こえてきた。
何気なく目を遣ると、ガチャリと銀色のドアノブが回り、ドアが開いた。そこにいたのは、高橋君だった。
走ってきたのだろう、呼吸が乱れ、スーツの上着を脱いで手で持ち、シャツは腕まくりをしていた。サラサラの黒髪は汗で束になっている。
暫く何も喋れないほどに肩で息をしていた。私はそれを、ただ呆然と見ていた。
「何で――何で来ないんだよ」
息切れする喉から発せられた言葉は、これだった。
「だって仕事が――」
「お前ならもっと早く終わんだろうが」
鞄とスーツを両手に持ったまま、汗を拭おうともしない。
ただただ肩を上下させて、怒っている。
「ごめん、あの、こないだの――」
「俺が好きだって言った事だろ、あれは本気だ」
「あのさ、そういうの困る」
高橋君の顔から視線を外したが、そのやり場に困った。
「俺の事、嫌いか」
「そう言う訳じゃ――」
「じゃあ何だよ?」
言葉に熱がこもり過ぎて、彼の声は途中裏返った。
どう答えたらいいのか、言葉に迷った。
惹かれている。これは事実。高橋君に彼女がいなかったら、喜んで受け入れていたかもしれない。
「嫌いじゃないの、嫌なの」
彼女がいる。浮気の片棒を担ぐなんて――ごめんだ。
「彼女がいるんでしょ。そんな人の気持ちは受け入れられないよ」
「俺の事、嫌いかって訊いたんだよ」
高橋君の目は、殺気立っていて、恐怖すら感じる。
ああ、何かこういうの、面倒臭くなってきた。えーい、全部言っちゃえ!
「高橋君の事は好きだよ。キスされて、もっと好きになった。だけど彼女がいる高橋君は、私を受け入れると浮気する事になるんだよ。そんなの責任取れないし、そんな面倒な恋愛は嫌いだから」
あなたが好きです、彼女を捨てて付き合ってください。って言えたらどんなに楽か。私は天性の面倒臭がりなんですよ。
「俺の事は好きなんだよな?好きっつったよな?」
ギロリ、と血走った目で私を見据える顔は、堅気の人間とは思えなかった。恐ろしい。
「す、好きでひゅ」
あ、噛んだし。
「仕事、手伝うから早く終わらせろ」
高橋君はそう言って自分のPCを立ち上げた。
え、諦めないの?!